投稿作品一覧
ローソン水たまり店
だれかが雨上がりの時にだけ
ローソン水たまり店は開く
自動ドアをくぐると音が鳴り
外国人の店長が
瞬きもせずにこちらを見て
イラッシャイと微笑む
この店に並ぶ品々は
だれかが失ったものばかりだ
昨日も今日も品数が増えたから
本当のことを言えば
明日が来るのが恐ろしい
それでも店長は
アリガトゴザイマス
アリガトゴザイマスと言った
だれにも気づかれないのはSだ
奪う気がないくせに奪ったのはOだ
Nの優しさは見過ごされ
それを忘れたりするのはぼくらだ
ローソン水たまり店のトラックが
いっぱいの荷物を載せて
走っていく音が聞こえた
つまりまた、つよい俄か雨となった
海の欠片
海に心を浮かべたら
波がどこまでも揺らめいて
行き着く先は願う先
あの夏の海岸で
二人で付けた足跡に
静かに打ち寄せられたなら
そっと想いを辿りつつ
まだ疼く残り火を
小さな海の欠片に変える
今度こそ
時の波間に置いて行く
あのきらめきの中に
置いて行く
見送る心に沁みるのは
海の水か
涙の水か
猫がまるめて
猫読書
読書のようなうちの猫と、焚書のような野良猫が、喧嘩をはじめたら、活字がぽろぽろと、まるで鰹節のふりかけのように、散らばりはじめるので、熱々の白いご飯の上に特に、注釈の※印を、振りかけて口に入れると、読書のような味がして、やはり教養はあまり口に合わないと思い、喉の奥で、焚書を試みたりした。
猫被り
かぶっている猫を脱がされて、年の暮れに少しずつ、挟まれる訂正文が、増えていた事に気づく。この【括弧】で自分を括り、一つ伸びをして、爪をたてずに頁数と行数とを示し、最初が【誤】、次は確固とした【曖昧模糊】の記載を、炬燵の隙間から発見された途端に、象られていたもう一枚上にも、猫を着ていた。
猫筆書き
一筆書きの猫が、一度あるいた路を、二度あるくことがないのは、歩いた跡の沈黙から、見ず知らずの虚空をうみ続けて、猫が通り過ぎたのを忘れた空間から順に、限りなく広がっているからで、猫を捕獲しようものなら、生みだされない場所で、古い時間を何度も、なぞらなければならなくなる退屈な、人の成長に伴う。
外連れ猫
猫は、外を飼い慣らし、外を引き連れたまま家に入るので、家のなかでも時々、外が広がってしまう。レンガ塀の上が、炬燵のなかに、ありふれている。そうして猫は、途上でありつづけるのでその歩行は、炬燵のなかから、裏庭が伸びる前触れでもあった。途上のうちに外を敷いて、行き着く先に途上がある。
猫本質
あらゆる猫が、なんとなく、のかたまりを、運び込んでくれるので、明らかな何か、以外の時空を、なんとなく、で埋めるようになった。丸まった猫が、丸めた隙間に、囲い込まれた時間を、それとなく、追い払ったりした、なんとなく、が上手な猫の、いい育まれ方をした、なんとなく、を分け与えられた人の生活がある。
猫被り二
世間体の過去である猫は、自己が完結しているので身体を研ぐことにだけ執心している。そんな世間は、担当者であふれていて、猫の担当者がある日、まるで猫のように猫ぶり、私たちは無数の言葉のなかから比較的、猫に近い単語を、担当者にあてがうと、それは猫として確かになるように思われるのだが、猫の実際はひょいと世間から、猫を削いだ姿になる前に見失われ、路地から猫が、別の猫を着てあらわれる。
猫関係
猫には関係、があり無関係、という関係のなかにも、また猫がいて、蛍光灯との関係に、照らされた猫が、喃語で呼び寄せられると、関係する目線を外し、肺呼吸で否定するその猫の、身の回りに付着する他人から、集めた想像を、軽やかに脱毛する様子に人と人々は、産まれながらに関係を、保たせて頂いているのです。
猫空間
猫が、歩くことによってひろがる空間を、また別の猫が横切ると、猫の要素で、この時代があふれることになる。路地から、猫が産まれたときはまだ、路地につなげられていたが、次第に路地は、畦道にも続いている、とわかると、畦道に接している田畑もすでに、続いている猫なのだとわかる、というのは言い過ぎです。
猫認識担当官
そうして私は、猫を猫として認める担当を、クビになってみると路地が細くなりすぎて、人であることを忘れながら入り組めないし、行書体のハライの部分が薄く、毛で覆われはじめて曖昧であり、成立しない文字でこの世があふれたが、至る所の存在から来る視線を感じて、かえって正確に猫を理解していた。
フロイトのヴェニス(後編)
・防衛機制における『合理化』と『昇華』の解説がなされる。
「いよいよクライマックスだ」
「ついにかい」
「ここでは、『合理化』、『昇華』の防衛機制のお出ましだ」
「聞いたことがあるね」
「それから『エス』、『自我』、それに『超自我』」
「お馴染みですな」
「さて、君のために復習だ」
「…お呼びじゃないんだが」
「合理化とは」
「あ、それなら『酸っぱい葡萄』だね」
「柔道の試合で取っ組み合って、つい相手の額を舐めてしまった」
「なんじゃい、そりゃあ」
「どういうわけか、額が酸っぱくて、なんじゃい、こりゃあ。これが…」
「『酸っぱい武道』とでも言うんだろ」
「…チ~ン…」
「そこら辺にしとかないと、苦情がまた来るよ」
「いやいや、どうせ君に説明したって、わかってもらえないんだから」
「ほう」
「だから、せめて駄洒落でもって」
「ほう」
「笑ってもらえたら、君も満足、僕も満足」
「満足って、要は自我が救われるってことかい」
「ん?」
「ジョークをかまして受ける、説明できずとも笑ってもらえたんだから、面目が立つ」
「んん」
「解説できなかったことが誤魔化せるわ、面目も立つわで、君は恥を掻かずにすむ」
「んんん」
「それこそまさに『合理化』じゃないか」
「ん?」
「だって、狐が高所の葡萄を取ろうとしても取れずに失敗する」
「イソップでんな」
「それを、どうせ酸っぱいんだから、取れなくて正解だと弁明する」
「そうじゃないんかい?」
「自分の失敗を巧みに言い繕って、自分は恥を掻いてないって思い込む」
「む」
「しかも、自分の自我を救い出そうとしているって自覚がない」
「無意識ってことだろ」
「これが『酸っぱい葡萄』、つまり、無意識裡に発動する防衛機制の『合理化』だろ」
「ほう」
「いまの君がそうじゃないのかい」
「ハラショー! 御明察!! 僕の捨て身の説明が通じたようで」
「んん?」
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
「なんと、君は合理化を定義する代わりに実演した、ってわけかい」
「ふふふ」
「君の手の平で私はひと踊りしただけなんかい」
「僕をお釈迦様と呼べ、とまでは言わんけどな」
「君の演技にまんまと食わされたな」
「ま、就活で劇団を受けてますからね」
「受けたんかい」
「まんまと落ちたがな」
「落ちたんかい。それにしても、君の掌の上でいいように転がされて」
「そんなつもりはないんだが」
「久々に君に怒りが湧いてきたような」
「ほう」
「しかし、君に怒ったところで、のらりくらりとかわされるばっかりで」
「そうかい」
「この怒りをどうしたもんだか。三十年ぶりに短歌でも書いちゃおうかしらん」
「おやおや。情念のエネルギーを芸術へと方向転換するんだね」
「そうさ」
「つまり、世間一般には好ましからざる攻撃欲求を、世間で愛好される目標へと転化しようというんだね」
「そうさ。…そうか、これが『昇華』だって言いたいんだね」
「まさに」
「ううん、君に説法しても怒っても何でも、どのみち君にいいようにあしらわれるってわけかい」
「まさか、そんな。『親友』じゃないか」
「君と会話すると、よく怒って、その後に落ち込むんだよね、またやられたって」
「落ち込むんだったら、それも『深憂』だね」
「…もういいよ、閑話休題にしよう。それでトマス・マンの『ヴェニスに死す』では、どんなふうに『エス』『自我』『超自我』が出てくるんだい」
・ここから、二度に及ぶパン屋襲撃の話について確認される。
「その前に、村上春樹の二度に渡るパン屋襲撃譚と振り返ってみよう」
「またかい」
「『パン屋襲撃』では、『僕』と『相棒』が空腹のあまりパン屋を襲う」
「そうだったね」
「最初は、二人とも包丁やらを手にパン屋を襲おうとする」
「本能的衝動だったね」
「パン屋に着くと、殺っちまえと逸る『相棒』を、まあ待てと『僕』が抑える」
「『相棒』がひたすら衝動的な『エス』なら、現実を見据えて適切な行動をとる『僕』は『自我』に当たるんだったよね」
「いかにも。フロイトの図式では、自我は弱々しいのでエスの言いなりになりやすいんだがね」
「ほう」
「んで『パン屋再襲撃』では、『僕』と『妻』がパン屋の代わりにバーガー・ショップを襲う」
「そうだね」
「今度は、『妻』は襲撃を何やら神聖なる義務かのように捉える」
「神聖なる義務かい」
「宗教的になっているからね。『妻』によれば、二人は『僕』にかけられた『呪い』のせいで飢えに苦しんでいる」
「だったね」
「『呪い』を解くためには、襲撃しなくちゃならない」
「んだね」
「もはや襲撃は飢えの解消のためなんかじゃない」
「そうか、『呪い』を解くための襲撃か」
「『呪い』だの、その解消だのは、広義の宗教だよ」
「そうかもね」
「宗教やら伝統やらに関わるのが『超自我』だよね」
「まあ、そだね」
「本能的衝動に従うのが『エス』だったよね」
「そだね」
「だから、再襲撃では主題が『エス』から『超自我』に転換する」
「ほう」
「そして『超自我』の代弁者が『妻』となり、『僕』に命じては導き、『僕』は頭が上がらぬ夫さながらに『妻』の後を追うだけ」
「そうだったね」
「『超自我』の命令的性格と『自我』の従属的性格が遺憾なく発揮されているんだよ」
「なある…」
・今度は、村上からマンへと話題が変わる。
「さて、トーキョーからヴェニスへとワープだ」
「SFかい」
「フロイト流には、『エス』と『自我』、そして『超自我』が相互に対立する」
「ふむ」
「小説をフロイト的観点から眺望すれば、同様に三者がいろんな形でぶつかる」
「だろうね」
「だが、その衝突のあり方は二つある」
「ほう」
「パン屋襲撃譚では、『エス』、『自我』、『超自我』がそれぞれの登場人物に託される」
「だったね。『エス』は『相棒』、『自我』は『僕』、そして『超自我』は『妻』だよね」
「いかにも。ところが、『ヴェニスに死す』はちょいと違う」
「ほう」
「『エス』、『自我』、『超自我』の三者が、なんと一人の人物の心の中に詰め込められるんだ」
「へえええ」
「老作家アッシェンバッハは、ある時は衝動に突き動かされる」
「美少年をストーキングするんだね。とかく衝動的なのは『エス』のせいだね」
「それで、理性的に自分の行動を振り返って、こりゃ人に見つかったらマズいと思う」
「自分の言動が環境に適合するかを考える、そりゃ『自我』の機能だったね」
「何たって、ホテルの美少年の部屋の扉のところに悶々として額を押し付けるんだから」
「やるねえ。それで、見つかったら捕まるからヤバい、とでも思ったのかい」
「いかにも。そして、国家レベルで重責を果たしてきた代々のご先祖様に申し訳が立たない、自分もそのように立派に振舞わなければ、と反省する」
「ほう。伝統的価値観に従わせようとするって、それは『超自我』じゃないか」
「老作家は名家の生まれで、先祖は代々国家に仕える家柄だった」
「名門なんだね」
「美少年を追い回して、ふと先祖の『毅然たるきびしさと端正な男らしさを思っ』て、自責の念に駆られるわけさ」
「なるほど。つまり、『エス』、『自我』そして『超自我』が一人の人間の内部にあって、互いに抗争しているんだね」
「いかにも。『葛藤』しているんだわさ」
「村上春樹の場合は、『エス・自我・超自我』がそれぞれ三人の人物に付与される。しかしトマス・マンの場合は、『エス・自我・超自我』が一人の人物の心の中に押し込まれるんだね」
「そうさな」
「どうしてそうなるんだい」
・ここで、ちょっとした小説論が展開される。
「小説というものの本質には二つ、あるからさ」
「ん?」
「キャラクターとストーリーさ」
「どういうことだい」
「詩と小説を比較しよう。詩はもっぱら『美』を追い求める。人間がいようがいなかろうが知ったこっちゃない。美しくありさえすればよい」
「そうなのかい」
「もっとも、この美とやらが厄介千万だね。何をもって美とするのか、その内実は実に幅が広い」
「そうかもね」
「小説となると、『人間』に始まり『人間』に終わる。美しいかどうかは二の次さ」
「ふむ」
「小説の主題は常に『人間』なのさ」
「確かに、どんな小説にも人間がいるし、詩的には美しいとは言えない小説もあるよね」
「小説の中心は人間だが、副次的に『物語』という要素もある」
「副次的なのかい。小説といったら物語じゃないのかい」
「小説は(特に近代小説は、だが)、人間が丹念に描かれていれば成立する。きめ細やかな性格描写さえあれば、ね。物語らしい物語がなくても、人間の内面描写が適格ならば、それでいいっちゃいい」
「そうなのかい」
「『ヴェニスに死す』が好例だよ。世間から尊敬されている老作家が、長年の創作活動に身も心も疲れ果て、風光明媚なる観光地でしばし転地療養し、挙げ句、流行の病いにかかる。傍目には何の盛り上がりもない、それだけの話さ」
「う~む」
「全体的に起伏に乏しく、ストーリーらしいストーリーがないんだよね。現代のハリウッドでもボリウッドでも、まず採用しない筋書さ」
「ふ~む」
「ただ、老作家の内面を、これでもか、とばかりに暴き立てる」
「それが性格描写なんだね」
「おまけにその言動も懇切丁寧に描き出す」
「性格に対応した言動なんだね」
「だから、『ヴェニスに死す』はキャラクターから生まれた作品と言える」
「じゃ、ストーリー中心の小説はどうだい」
「芥川龍之介の『羅生門』なんかは、どうだい」
「あれね。お婆さんが死んだ女主人の死体から、売ろうと思って毛を抜いている。そこに男が現れて、お婆さんから一切合切を奪って逃げる。起承転結の明確なストーリーだね」
「そのお婆さんとやらは、あるいは男とやらは、どんな性格なんだい」
「お婆さんは哀れだね。男は悪い奴さね」
「それだけかい」
「ふむ…」
「『羅生門』はストーリー中心の小説なんだよ」
「そうか、だから個々の人物の性格描写は甘い」
「んだね。村上春樹にもこの傾向がある」
「おや、そうなのかい」
「正確には、イメージからストーリーを湧き上がらせ、それにキャラクターを肉付けする」
「ほうっ」
「村上は、まず何らかのイメージを抱くんだ。それはどうやら人間ではない。次に、そのイメージを膨らませる。すると、あら不思議、おぼろげながらストーリーが出来上がる」
「ほう」
「最後に、このストーリーに合わせて人物をここかしこに配置する。後は筆を走らせば、完成さ。つまり、キャラクターはストーリーに従属し、ストーリーを表現するための道具となる」
「そんなこと、断言できるのかい」
「少なくとも村上の短編にはそんな作品があるよ。例えば、『貧乏な叔母さん』という作品がある」
「ユニークな題名だね」
「題名からして、親戚な叔母さんか誰が主役と思うだろ」
「違うのかい」
「違うも何も、主役の男には、確か親戚のおばさんなんかいない」
「あんだって!?」
「作者は、どうも親戚のおばさんなるものの存在を文学的に表現したかったようだ」
「何だか難しいね」
「つまり、村上春樹は(現実にいるかどうかは別として、いたとしても、おばさん本人とは無関係に)親戚のおばさんなる存在の哲学的(?)イメージを抱くに到り、何らかの事情でそれが気になってしょうがなく、そこでこのイメージを膨らませていった」
「そうしたら、小説が一丁出来上がった、そういうわけかい」
「だろうね」
「つまり、イメージからストーリーが成立し、そのストーリーの脇をキャラクターで固めた、そういうわけかい」
「だろうね」
「中心は飽くまでストーリーであり、作品中のキャラクターはみんなストーリーの付属品に過ぎない、と」
「まあね」
「ふぅむ…」
「ぐうの音も出まい」
「で、君は小説にはキャラクターとストーリーがあり、作品によって、あるいは作者によって、どちらか一方が優先される、って主張するんだね」
「んだんだ」
「のみならず、小説の本質は一にも二にもキャラクターにある、だから小説においてはストーリーは二の次だ、とすら唱えるんだね」
「んだんだんだ」
「是非はともかく、君のご意見は拝聴したよ」
「さて、この観点からフロイト説を眺めよう。トマス・マンの『ヴェニスに死す』と村上春樹のパン屋襲撃譚を比べるんだ」
「そうか。村上春樹はまず何らかのイメージを抱き、それを具体的にしてストーリー化するが、その過程で『エス、自我、超自我』をそれぞれ登場人物に付与する」
「それ、さっき言ったがね」
「作者の言わんとする実質はストーリーにあり、ストーリーそれ自体が深い意味をもつ、それがストーリー重視ってことだね」
「それも言ったがね」
「ストーリーそれ自体が様々な側面をもち、謎めいて人を魅了するとしても、ストーリーを構成するそれぞれの登場人物は必ずしも多面的でなく、むしろ平坦だったりする」
「ほう」
「例えば、水の分子は二つの水素原子と一つの酸素原子から成る複合的なるものであり、だから多面的で複雑にもなる」
「んだね」
「ところが、それぞれの原子は、水素であれ酸素であれ、一つのものから成るんだから、一面的で単純だ」
「んだんだね」
「この分子と原子の関係が、ストーリー派の作品では、ストーリーとキャラクターの関係に相当する」
「なかなかやるな」
「で、この逆が、えっと…」
「そう、トマス・マンとなるのさ。マンはキャラクターから始める」
「そう、それを言おうとしたんだ」
「ある種の人間に興味を抱く。ま、作家的関心だよね。そしてその人間を隅々までしゃぶり尽くそうとする」
「こら、言い方」
「だから人物造型が多面的かつ多層的となる。不思議なことに、そういうキャラクターが出来上がって動き始めると、いつの間にか…」
「その人物がいろんな人と関わり、いろんなことをやるんだね」
「そうだがや」
「その人物の性格に相応しい道を歩むんだね」
「いかにも」
「じゃ、自然とその人物を巡るストーリーが出来上がるんじゃないのかい」
「さよう」
「なるほど、これが君の言うキャラクター重視の小説なんだね」
「いかにも。だから人物の性格は様々な傾向を併せ持つことになるんさ」
「なるほど」
「逆に、ストーリーのほうに手が回らなくなっちまう」
「そういうことも、確かにありそうだね」
「『羅生門』は短いながら、ストーリーには起伏があって、読んでハラハラ・ドキドキしなくもない」
「まあね」
「しかし人物造型は単調で深みを欠くっちゃ欠く」
「そうかも」
・『ヴェニスに死す』に戻る。
「さて、そのストーリー派の『ヴェニスに死す』は、老作家の性格はやたら複雑なんだが、ストーリーとしては単調で、退屈とも言えるし、呆気なく終わる」
「オッケー。老作家が葛藤しているのはわかった」
「そりゃ、どうも」
「『エス』に駆られた老作家は美少年を性的に見つめて追い回す。それを、みつかったらヤバイと『自我』は警告する。そして謹厳実直なる代々のご先祖様に申し訳が立たないと『超自我』が𠮟りつける」
「そだね」
「でも、君は言ったよね、『合理化』と『昇華』も関わる、って。どこにあるんだい」
「むふふ」
「おいおい」
「むふふふふふふふ」
「いい加減に…」
「クライマックスらしいクライマックスのない『ヴェニスに死す』だが、アッシェンバッハが美少年を追い回して、その少年の泊まる部屋の扉に額を押し付けるところが、クライマックスうといえばそうかもね」
「おや、そうなんだね」
「こんな感じさ…。『ある夜ふけには宿に戻って「あの美しい少年の部屋の戸口に足をとめると、全くよいごこちになって、ひたいを戸のちょうつがいのところにおしあてたなり、長いことそこからはなれることができなかったのだ』ってね」
「ほう。『エス』のせいだね」
「これはヤバイ。この『かっこうのまま見つかってつかまえられる、という危険をおかしながら』と」
「確かにマズいよね。『自我』が警告を発している」
「ここで老作家は『反省』もする。『かれはいつも、自分の生活の業績や成功にさいして、祖先のことを思い、かれらの賛同、かれらの満足、かれらの否応なしの尊敬を、頭の中で確保するというくせがあった。今ここでもかれは、かくも許しがたい閲歴のなかにまきこまれながら、感情のかくも異国的なほうらつにひたりながら、かれらのことを思った。かれらの人物の毅然たるきびしさと端正な男らしさとを思った』のさ」
「ほう。『超自我』に叱られているんだね…。いや、そこはさっきも聞いた。『合理化』はどうしたい」
「ここさ。老作家はこんなふうに思うんだ。美少年に恋して追っかけをするのも、言ってみれば『勤務』である、と」
「勤務、だって?」
「そうさ。だって、彼も言わばご先祖様と同様に『兵士であり軍人であった』のだから」
「どういう…」
「だって、『芸術とは一つの戦争、骨身をけずるような闘争』だから、さ」
「つまり、危険を承知で、散々苦労して美を追い掛け回すのは芸術家にとっては勤務、いや激務であり、それは軍人であった先祖が骨身を削って戦闘行為に従事していたことと同じ、だと言うのかい?」「そうさ」
「…」
「つまり…」
「『合理化』、なんだよね」
「いかにも」
「…」
「芸術家の秘密が暴かれるのさ。いかに高尚に見えても、その実態たるや…」
「…かくの如し。下半身の事情に同じ」
「ぶはは。実にフロイト的だよね、だって彼も『すべてこれ性欲なり』と言うのだから。もっとも、フロイトのいう性は幅広い概念なんだけどね」
「何というか」
「御愁傷様」
「じゃ、『昇華』は…」
「世間に尊敬される老作家はこんなふうに仰る。『世間が美しい作品を知っているだけで、その根源を、発生条件を知らぬのは、たしかにいいことだ。なぜなら、芸術家にわいてくる霊感の源泉を知ったら、世間はしばしばまごつかされ、おびやかされるであろうし、従って優秀なもののもつ効果が消されてしまうであろう』とね」
「どういうことだい」
「老作家はヴェニスの宿で、美少年を思い出しながら美に関する論文を書いたのさ」
「ほう。それが自信作だったのかい」
「そうさ。この美に関する偉大なる論文も、その『源泉』たるや…」
「…美少年への性欲だった、と…」
「お、はっきり言っちゃったね」
「だって…。そうか、これが『昇華』なのか」
「御明察」
「性欲が学術論文へと『昇華』したんだね。世間的には好ましからざる欲求が、世間の好み推奨する欲求へと転化されたのだから」
「はい、百点満点さ」
「ふ~む…。知らなければよかったのかもしれないね…」
「実際には難問だね。果たして老作家の美少年への愛が、いわゆる性欲に還元されるのかどうか。それに、一口に性欲といっても多種多様なのだろうから、仮にそれが性欲だったとしても、それが本当に悪いものだと言い切れるのかどうか…」
「何か、深そうだね」
「だって、エロスは美の一本質であり、文学には不可欠なんよ」
「まあ、ね」
「そして、美少年への性欲を拗らせて出来上がったのが、この『ヴェニスに死す』という名作だった、ってわけさ」
「ううむ、これにて一件落着、とはなかなかいかないねえ」
「ある人がいまや老いさらぼえたヴェルレーヌに出会った。そこは飲み屋で、ヴェルレーヌは座っていた」
「何だい、唐突に」
「その人はこの偉大なる詩人の大ファンだった。この邂逅に歓喜し、厚かましくも詩を一つ朗読してくれはしまいかと頼んだ」
「で、詩人はどうしたんだい」
「親切にも、朗々とやってくれた。あんまりにも美しい恋愛詩だったので、その人は心を震わせた」
「ほう。誰に詠んだものだろうね」
「すると、詩人の背後から、どうにも老いて太った売春婦が現れ、ほれ、アンタ、いつまで飲んだくれているんだい、もう行くよ、と老詩人の耳をつねって引っ張っていったそうな」
「う~ん、幻滅するというか…。それ、実話なのかい」
「よく覚えちゃいない逸話を誇張してみたよ」
「いやあ、君も本当に『信頼のできない語り手』だよな…」
ーおしまいー
『ヴェニスに死す』トオマス・マン 実吉捷郎訳(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001758/files/55891_56986.html
朗読BGM トーマス・マン『ヴェニスに死す』<全部続けて聞く>!中編小説
スルメホタルの青空小説朗読チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=vKVJdeUPH2I
一時停止
突然の土砂降り
帰りの電車が止まる
もう電車の方向幕は変わってしまった
あの人と
わたしと
行き先は
あってるのかしら
世界の果てに願うハルモニア (漆黒の幻想小説コンテスト)
薄く冷え切った空気にも大分慣れてきたが、ここからが本番だ。白く添え経つ山々の頂きを囲う雲海を見渡し、イサドラの気は一層引き締まる。
「おい、起きろアニス」
鈍銀の毛並みをした“獣の者”を黒鉄の杖で突くと、不快そうな呻き声と共に猫人のアニスが半目でイサドラ睨んだ。緊張感のない奴だとイサドラは呆れる。
「うるせぇなぁ……」
「そろそろ出るぞ、準備しろ」
「……メロは?」
石の隙間から流れ落ちる湧き水で軽く顔を洗い、機械仕掛けの義手である左手の指先で器用に顔周りの毛並みを整えていた。
「聞こえるだろ」
アニスの耳が一際ピンと立って微かに聞こえる笛の音色を捉える。
「ご主人様はホント音楽馬鹿だな」
アニスが見上げる先を、イサドラも見据える。
山のエルフが築いたとされる神殿“ピネールの一雫”今では巨木に侵蝕されて崩れた石壁と柱の残骸のみが在りし日を証明するだけ。
あの楽人から発せられる音色は、そんな繁栄の名残を悠々と、少しばかり物悲しく奏でている様だった。
「何よ?」
水の入った樹皮を巻いた銅金のコップをアニスはイサドラに差し出していた。
「サクッと沸かしてくれよ。大魔女様」
「ふざけるな! そんな事に魔法は使わん!」
毎度、毎度。軽率に魔法を使わせ様とする。理が逸脱した“魔”を含む力の危うさを理解しているのはイサドラだけだ。
睨み合っていると、間を裂く様にメロモーニアがアニスのコップを手にして水を飲み干した。
「メロの旦那、本当に行くのかい?」
「会ってみたいんだ。神々に最も近しい従者に。神々の園へ行けるかも知れない」
一度決めたら簡単には折れない。メロモーニアの静かな決意をアニスは感じ取っていた。放浪の楽人にはない、メロモーニアのそんな雰囲気をアニスは気に入っているからこそ、この旅を苦には思わなかった。
「何処を旅したって楽な道はないよ」
「そりゃそうだ。神様に会って“魂”を取り戻さないとならないからな。楽はないよな」
「腐れ縁ね……全く」
イサドラもこの不思議な巡り遭わせを悪くは思わない。探し求めている心理に近付いている様な気がするからだ。不思議な楽人と奴隷上がりの剣士と魔女。
「さぁ、行こう。雲海を下り、雲の中に潜む“白煙の橋”の向こうにある、龍の巣へ」
この道に迷いもなく、希望も失望もない。メロモーニアの抱く想いは――好奇心だけだった。
Your Song。
当然のことながら、言葉は、場所を換えるだけで、異なる意味を持つ。筆者の詩句を引用する。
ひとりがぼくを孤独にするのか、
ひとりが孤独をぼくにするのか、
孤独がぼくをひとりにするのか、
孤独がひとりをぼくにするのか、
ぼくがひとりを孤独にするのか、
ぼくが孤独をひとりにするのか、
3かける2かける1で、6通りのフレーズができる。
(『千切レタ耳ヲ拾エ。』)
これは、ただ言葉の置かれる場所を取り換えただけの単純な試みなのだが、このような単純な操作で、これまで知らなかったことを知ることができた。「ひとりがぼくを孤独にする」のも、「ぼくがひとりを孤独にする」のも、ありきたりの表現であり、目につくところは何もない。しかし、「孤独がぼくをひとりにする」とか、「孤独がひとりをぼくにする」とかいった表現には、これまで筆者が知っていたものとは異なるところがあるような気がしたのである。この詩句を書いた時点でも、それは、はっきりとは説明できないものだったのだが、少なくとも、これは、「孤独」という言葉に対する印象として、筆者にとっては目新しい感覚であることだけはわかっていた。ときとして、言葉といったものが、わたしたちについて、わたしたち自身が知らなかったことを知っていたりもするのだが、これは、言葉にとっても、同じことなのかもしれない。言葉が知らなかったことを、わたしたちが教えるということがあるのだから。それとも、これは、同じことを言っているのだろうか。わからない。わかることといえば、このような単純な操作で手に入れた、この「はっきりとは説明できないもの」が、筆者に、新しい感覚を一つもたらしてくれたということだけだ。「ぼくが語りそしてぼくが知らぬそのことがぼくを解放する。」(ジャック・デュパン『蘚苔類』3、多田智満子訳)といった言葉があるが、まさに、このことを指して言っている言葉のような気がする。ただし、その新しい感覚というものは、その詩句を書いた時点では、筆者にはまだ明らかなものではなく、ただ漠としたものに過ぎなかったのだけれど。しかし、いずれ、そのうちに、言葉と、「わたしたちのそれぞれの世界がわたしたちを解放し」(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』2、澤崎順之助訳)、言葉には、その言葉自身が知らなかった意味を筆者が教え、筆者には、筆者が知らなかった筆者自身のことを、その言葉が教えてくれることになるだろうとは思っていたのである。そして、じっさいに、以前には言い表わせなかった、あの「孤独」という言葉がもたらしてくれた、新しい感覚を、新しい意味を、ようやく、ある程度だが、言葉にして言い表わすことができるようになったのである。「Sat In Your Lap°II」のなかで、展開している言葉のなかに。そして、これはまた、いま、筆者自身が考えているところの詩学らしきものの根幹をなすものとさえなっていると思われるものなのである。
先生の『額のエスキース』という詩の中に、「女性の中に眠っている/孤独な少年はめざめるのだ」といった詩句がありますが、先生が、ひとやものをじっと見つめられるときには、先生の中にいる少年が目を覚ますのでしょう。そして、その少年が、先生の目を通して、ひとやものをじっと見つめるのだと思います。
やがて、その少年の身体は、少年自身の目に映った、さまざまなものに生まれ変わっていきます。
と、「現代詩手帖」の二〇〇三年・二月号(「大岡信」特集号)に、筆者は、書いたのだが、もちろん、この「少年」は、魂の比喩であり、「孤独」という言葉は、「Sat In Your Lap°II」で考察した意味を持っている。「孤独な魂が、わたしの魂をだれかの魂と取り換える」といった言葉を、「國文學」の二〇〇二年・六月号に掲載された原稿に、筆者は書きつけた。「なるほどこの結論をひき出したのは、わたしだ。だが、いまはこの結論がわたしをひいていくのだ。」(『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)といったニーチェの言葉があるが、よく実感できる言葉である。「自分では気づいていなかったことも書くとか、自分ではないものになるとか」(ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』追記と余談、山田九朗訳)、「発見してはじめて、自分がなにを探していたのか、わかる」(ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳)といったことが、ほんとうにあるのである。
とはいっても、「孤独がひとりをぼくにする」という言葉の意味は、まだ完全に了解されてはいない。似た意味は手に入れた気がするのだが、似てはいても、同じではない。似ているものは同じものではなく、同じものではないかぎり違いがあり、また、その違いが、わたしに考える機会を与え、わたしをまとめあげ、さらに、わたしを、わたし自身にしていくのであろう。言葉は、意味を与えられたとたんに、その意味を逸脱しようとする。そして、それこそが、言葉といったものに生命があるということの証左となるものである。
「一つ一つの語はその形態ないし、諧調のなかに語の起源の持つ魅力や語の過去の偉大さをとどめており、われわれの想像力と感受性に対して少なくとも厳格な意味作用の力と同じくらい強大な喚起の力を及ぼすものであ」(プルースト『晦渋性を駁す』鈴木道彦訳)り、また、「言葉は(‥‥‥)個人個人の記憶なり閲歴なりをあからさまに、人それぞれのイメージを呼び起こすものである。」(ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』山田九朗訳)。しかし、「芸術家は、自分がみずから親しく知らない人間や事物の記憶を呼び起す」(ユイスマンス『さかしま』第十四章、澁澤龍彦訳)ことができるのである。しかし、じっさいに、そうできるために、芸術家は、つねにこころがけなければならないのである。「et parvis sua vis./小さきものにもそれ自身の力あり。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)、「地に落ちる一枚のハンカチーフも、詩人には、全宇宙を持ち上げる梃子となりえるのである。」(アポリネール『新精神と詩人たち』窪田般彌訳)。「偉大な事物をつくりたいとのぞむひとは、深く細部を考えるべきである。」(ヴァレリー『邪念その他』S、清水徹訳)、「聡明さとはすべてを使用することだ。」(同前)。「あらゆるものごとのなかにひそむ美を愛でたポオ」(ボードレール『エドガー・ポオ、その生涯と作品』3、平井啓之訳)、「すべての対象が美の契機を孕んでいる」(保苅瑞穂『プルースト・印象と比喩』第一部・第二章)。「普遍的想像力とは、あらゆる手段の理解とそれを獲得したいという欲望とを含んでいる」(ボードレール『ウージューヌ・ドラクロワの作品と生涯』3、高階秀爾訳)。「すべてをマスターしたい。だってすべての技術を自分のものにしてなかったら、自分のために作る作品が自分自身の技能によって制限を受けることになるじゃないか」(ブライアン・ステイブルフォード『地を継ぐ者』第一部・2、嶋田洋一訳)。たしかにそうである。ときには失敗するとしても、「われわれはつねに、まったく好便にも、失敗作をもっとも美しいものに近づく一段階として考えることができる」(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)のだから。
「verte omnes tete in facies./あらゆる姿に汝を變へよ。あらゆる方法を試みよ。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)より、ウェルギリウスの言葉)。「私はこれまで かつては一度は少年であり 少女であった、/薮であり 鳥であり 海に浮び出る物言わぬ魚であった‥‥‥」(エンペドクレス『自然について』一一七、藤沢令夫訳)。「自分が過去に多くのものであり、多くの場所にいたために、いま一つのものになることが出来るし──また、一つのものに到達することも出来るのだ」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか・反時代的考察・3、西尾幹二訳)。「「我あり」は「多あり」の結果である。」(ヴァレリー『邪念その他』J、佐々木明訳)、「自分以外の何かへの変身」(ラーゲルクヴィスト『巫女』山下泰文訳)、「変身は偽りではない」(リルケ『明日が逝くと……』高安国世訳)。「私の魂は木となり、/動物となり、雲のもつれとなる。」(ヘッセ『折り折り』高橋健二訳)のである。
クリエイティブな捜査対象 VII 最終話 ―― 返す名前――
わたしかぁ。
誰なんだろね。
「筑水せふり」という名前、
拾った名前。
誰かがそう望んだ、懐かしい何か。
なれなかった何か。
でも、それでいい。
誰かにとって、それはきっと
特別な名前だったのでしょう。
わたしは、
その名前を背負い、
その名前を歩む。
けれど、もし、
落とした人がいるのなら、
それを返してあげよう。
きっと、あの人は、
木漏れ日に輝きたいと思っている。
やわらかな風を受け、
銀河の光を浴び、
雨音に包まれ、
木々に囲まれ、
霧を纏い、
雪を見つめ、
午後の影を眺め、
そうであった誰かに、その名前を返そう。
けれど、それはまだ、
少し先の話。
TABUSEコインが、
あの捜査官が紡ぐだなんて、
くすくす、
楽しみだわ。
どんなお話になるか、
わたしも、まだわからない。
でも、彼が書くたびに、
何かが変わっていくこと、
その変化を感じているから。
その世界のゆらぎ、
それが面白いのよ。
「書くこと」
それは、どんな意味を持つのだろう。
ひとつのコインを手にして、
わたしは問いかけ続ける。
答えは、きっと、
彼の手の中に。
ただ、少しだけ、待ちましょうか。
風がふき、
雲が流れ、
月が昇り、
そのすべてが、
わたしに与えてくれる答えを、
きっと、わたしも知る日が来るでしょう。
その時なんでしょうね。名前を返せる日は。
それまで、
お話は続くのよ。
ほんの少しだけ、先へ。
じゃあね、また。
―――――――――――――――――
第一話はこちら
クリエイティブな捜査対象 I
――始まりの 夜――
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クリエイティブな捜査対象 VI ――月下のメモ――
若い捜査官はまだ庁舎にいた。
窓の外には、冴え冴えとした月。
パソコンには書きかけの報告書。
その隣には、無意識に開かれたブラウザのタブ──CWS。
《筑水せふり》と名乗るアカウントのページ。
詩と短編。写真と、あとは政府内で”C対象”と分類される断片たち。
しかしその断片は彼にはすでに、あの唄声と同価値に思えた。
ふと、彼はメモ帳を開く。
ただ思いついた言葉を数行、打ち込む。
何かが、そのまま指を通って落ちていった。
その瞬間、画面が微かに瞬き、
新たなアカウントが自動で作られた。
先ほどの言葉が、モニタに、星のように滲んでいる。
「……なんだ、これ」
ポケットに手を入れる。
銀色の、重み。
《TABUSE COIN》──。
彼は声に出さずに笑った。
---
その頃。
少女は夜の校舎の屋上にいた。
天文部の機材。ひとりの時間。
星空が、ただ、そこにある。
少女は小さくつぶやいた。
「くすくす、あなたも、書いたのね」
それだけでいいの。
変わるの。
書かれた言葉で、世界がすこしずつ塗り替わる。
願い、後悔、誰かの物語、記憶。
そしてその中に、まだ知らない誰かがひとり、足を踏み入れたことを、
彼女は微笑んで受け止めていた。
---
ベテラン捜査官は、自宅の書斎にいた。
どこか遠くの記憶が、若い同僚の目に重なって見えていた。
彼は引き出しを開ける。
古びたノートの下から、見覚えのない一枚の封筒が現れる。
見覚えはないが、数日前に見た、白い封筒。
《TABUSE COIN》──
太った男の顔が、封に銀で浮き上がっている。
彼はそっと指で撫でた。
何十年も前、若い自分が初めて書いた詩を思い出す。
ずっと忘れていたはずの、誰にも見せなかった、名前のない物語。
「遅すぎることなんてないさ」
色褪せたインクの頁をめくり、そして、群青のインクを万年筆に詰めた。
---
星空の下。
風に吹かれる草木の音。
少女は空を仰ぎ、微笑む。
TABUSEコインはまた一枚、生まれた。
書かれた行が、世界を編んでゆく。
誰が、なにを望み、どこに向かっているか──それはまだ、誰も知らない。
でも今夜も、CWSは静かに灯り続けている。
語られなかった名前を、記されたことのない記憶を、
書く者たちのスペースとして。
――最終話へ
クリエイティブな捜査対象 V ――コインの裏表――
震える手で、コインを握りしめたまま、
若い捜査官は呟いた。
「……書くと、何が……変わるんだ。」
空気がふっと震えた。
少女は星空を背に、柔らかく口を開いた。
「コインが、生まれるの」
夜風に乗る、歌うような声。
「うたうとね、かくとね、
……コインが、生まれるの」
それだけ。
何を意味するのか、捜査官には、すぐにはわからなかった。
いつの間に、中庭にいる少女。
少女はゆっくり近づく。
石畳を裸足で踏み、冷たい空気の中、静かに。
「生まれたものは、誰かに届くよ。
使わなければ、それでおしまい」
星が瞬く。
彼女の目もまた、初めての日の、夜の様な目と違い、星のように光を宿していた。
「でもね、」
彼女は言った。
「書いたら——
せかいは、かわる」
捜査官は、手の中のコインを見下ろした。
重みはない。けれど、掌に吸い付くように離れない。
「どう変わるかは、あなた次第」
少女は歌うように続けた。
「のぞんだとおりかは……
コインの、ひょうり」
表か裏か。
選べない。
振られるまま、投げられるまま。
星空はあまりに高く、深く、広かった。
彼は、そこに小さな、けれど確かな"何か"を感じた。
少女は、もう何も言わない。
ただ星を見上げ、また別の詩を紡ぎはじめていた。
——
遠い遠い場所で。
またひとつ、白い封筒が、TABUSEコインが誰かのもとに現れる。
その誰かが、知らずにコインを受け取る。
そしてまた、世界は少しだけ、
書き変わり、更新されていく。
つづく
――――――――――――――――――――
クリエイティブな捜査対象
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クリエイティブな捜査対象 IV ――星と詩の間に――
昼間の少女は、ただの生徒にしか見えなかった。
制服のスカート、揺れる黒髪。
小柄で、どこにでもいるような、可憐な高校生。
天文部の活動も、外から見れば健全だった。
放課後のグラウンド脇。
古い赤道儀の上に載せた屈折望遠鏡。
部員たちは笑い、空を見上げ、金星を探していた。
若い捜査官は、遠巻きにそれを見ていた。
違和感は……ない。
ただ、どこか、針の先でなぞられるような、面積のない視線を感じていた。
――その夜。
少女はひとり、屋上に上がっていた。
誰もいない。
冷たい夜風に、黒髪が揺れる。
空には無数の星。
冬の星座が瞬いている。
少女は、小さく息を吸い込んだ。
そして——
「うたうよ」
囁くように、詩を、唱えはじめた。
「ちいさな ほしの 軌跡が まじわる
こえもなく おちてくる
すべてのこどもたちのうえに
みえないほしの きおく――」
言葉が、空気を震わせる。
見えない波紋が、世界に染みこんでいく。
その瞬間だった。
若い捜査官のコートの内ポケット。
「……っ?」
熱を持ったものが、勝手に脈打った。
慌てて手を突っ込む。
指先に触れたのは、封筒。
いつの間に——
確かにここに、なかったはずのもの。
白い封筒。
太った、奇妙な男の図柄。
《TABUSE COIN》の印。
心臓の音が、耳を突き破るように響く。
捜査官は、そっと封筒を開いた。
中には、一枚のコイン。
そして、手書きの短い文。
——かくことを、えらびますか?
足元がぐらりと揺れた気がした。
屋上を見上げる。
少女は、こちらを見ていた。
星明かりの下で、静かに、静かに笑って。
まるで、ずっと前から知っていたように。
詩は、なおも続いていた。
聞こえないはずの詩声が、捜査官の脳に、直接降り注いでいた。
「あたらしい ほしの軌跡が はじまる
ねむるひと めざめるひと
それが わたし それで わたし――」
夜空の奥、見えない何かがゆっくりとこちらに目を向ける。
この世界の裏側で、何かが少しだけ、軋みながら動き出す。
若い捜査官は、封筒を握りしめたまま、動けずにいた。
つづく
――――――――――――――――――――
クリエイティブな捜査対象
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クリエイティブな捜査対象 III ――Creative Writing Space――
奇妙な男が刻印されている銀のコインは、冷たくもあたたかい。
掌に乗せたまま、暗い部屋で少女は目を閉じる。
彼女にはわかっている。
これは貨幣ではない。
契約でもない。
これは、「選択」だ。
詩を詠み、
物語を編み、
見えない世界を塗り替える。
そんな、永遠の作業。
《CWS》
Creative Writing Space
クリエイティブ・ライティング・スペース。
創造し、書き続ける場所。
けれど、誰もその中心にはたどり着けない。
いや、そもそも
中心などと言う概念は、
存在しうるのは、場。
封筒は、誰の手も触れずに届く。
TABUSEコインは、手にする者を選ばない。
ただ、書くか、書かないか。
受け取るか、拒むか。
それだけ。
***
車を走らせる二人の公安捜査官は、言葉少なだった。
若い捜査官は何度も口を開きかけ、何も言えず、閉じた。
なぜか、脳裏を離れないのだ。
あの少女の静かな気配。
白い手。
目の底に宿る、深い夜。
そして、あの日からの奇妙な夢。
何度も同じ夢を見た。
巨大な図書館。
壁にびっしりと書かれた言葉。
黒く、文字とも、何かの圧縮された塊にしか見えない、言葉だった物。
——創れ。
——書け。
言葉にならない声が、耳を満たす。
若い捜査官は、ポケットの中に手を入れた。
何もない。
だが、確かにそこに、冷たい硬貨の感触がある気がした。
「おい、聞こえるか?」
ベテランが声をかける。
若い捜査官は、はっと我に返った。
「……いえ。なんでも」
車窓の向こうに、また、夕暮れが迫る。
そしてその向こう、誰にも見えない空間に、
今日も《CWS》へ、詩が一篇。
静かに書き加えられていた。
——そして、また一人。
——また一行。
——世界は、静かに塗り替えられていく。
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クリエイティブな捜査対象
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クリエイティブな捜査対象 II ――コインの夜語り――
私は、詠う。
声には出さない。けれど、響く。
この家の壁を透かして、空の奥へ、音もなく。
知らない人たちが来た。
重い靴音、固い声、湿った目。
彼らは、私の名前を呼んだ。
でもそれは、私ではない。
筑水せふり?
誰、それ。
この名前は、落ちていたもの。
ずっと前の雨の日、門の前で。
拾っただけ。気に入っただけ。
小さな名札みたいに、胸にしまった。
詩も、写真も、世界の断片。
それらは、あふれてしまうから、
私がかたちを与えて、そっと置いた。
それだけ。
けれど、大人たちは怖がる。
わからないものを、すぐ箱に入れたがる。
「C対象」
それは、檻みたいな言葉だ。
あのとき。
二人の靴音が、遠ざかるのを聞きながら、
私はポケットの中に指を滑らせた。
コイン。
銀色の、重たいもの。
「タブセ」と呼ばれるもの。
それは、ここではないどこかと、ここをつなぐ鍵。
人間たちが知らない扉を、そっと開くもの。
郵便受けに挟んであった封筒は、
ただの目印。
見える人には見えるし、見えない人には見えない。
彼らは、見なかった。
だから、触れなかった。
だから、消えた。
コインはまた、私の手に戻った。
それはとても自然なことだった。
夜が深まるたび、
この家は、少しずつ、向こう側へと傾いていく。
私は、待っている。
いつか、本当にここを訪れる誰かを。
ほんとうに、扉を叩く誰かを。
そのとき、
このコインは、初めて使われるだろう。
私は、笑う。
とても静かに。
夜を、手のひらで転がすように。
——筑水せふり、なんて、ほんとうの名前じゃない。
ただ、そう呼ばれるのも、
ちょっと楽しいと思っただけ。
だから、また、詩を送ろう。
誰かの、遠くの、まだ知らない夜へ。
―つづく
――――――――――――――――――
クリエイティブな捜査対象
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クリエイティブな捜査対象I ――始まりの 夜――
表札も灯りもない、無機質な一軒家。
鬱蒼とした庭木をかき分け、二人の公安捜査官が門扉を押し開けた。
「……まさか、ここに」
若い捜査官が口を開く。
ベテランは一瞥し、短く答えた。
「確かだ。筑水せふりの痕跡は、すべてここに繋がっている。」
SNSに詩を投げ、写真をアップし、暗号めいた言葉を散りばめる存在。
何者かもわからぬまま、政府内で”C対象”に分類された名前だった。
ノックすると、驚くほど静かにドアが開いた。
現れたのは、常識を逸した光景。
小柄すぎる少女。長い黒髪、白い肌。
まるでこの世から切り取られた異物のように、そこに立っていた。
「……あなたが、筑水せふりさんですか?」
少女は無言で首を傾げる。
その仕草は、年齢不詳の静謐さをまとっていた。
質問を重ねる。
創作活動、詩、写真、SNS。
だが、受け答えはどこまでも素朴で、幼い。
「うた? よくうたってるよ」
「しゃしん? ……とったことない」
若い捜査官は次第に苛立ちを覚えた。
こんな子どもが、あの不可解な文章群を紡げるものか。
ベテランは沈黙したまま室内を観察した。
整頓されすぎた空間。小さな机、小さな椅子。
壁に走る、どこか意味ありげな黒い線の群れ。
それでも、証拠はない。
決定打は、どこにも。
「……見込み違いかもしれませんね」
若い捜査官の声に、ベテランも微かに頷いた。
彼らは一礼し、踵を返した。
玄関脇の郵便受けには、厚みのある白い封筒が顔を覗かせていた。
太った男の顔が印刷された、奇妙なコインのマークと《TABUSE COIN》の文字。
封筒は郵便受けから半ばはみ出し、手を伸ばせば届く位置にあった。
だが、二人とも、まるで見えていないかのように素通りしていく。
静かな足音が、庭の石畳に消えた。
やがて、夕闇が家を飲み込み始めた。
微かな風。
封筒は、そのまま空気に溶けるようにふわりと消えた。
そして——
家の中、少女の小さな手のひらに、銀色に輝く小さなコインが現れた。
少女は、声もなく笑った。
その瞳の底に、底知れぬ夜を宿したまま。
―つづく
「プ」について|しろねこ社への推薦文
推薦対象
チューリップのプ
by 佐々木マルコ
チューリップとはチューリップだ。といえば、なかなかマヌケな言い回しになってしまうが、少なくともぼくにとってのチューリップは、「チューリップ」という〈ひとまとまり〉の言葉(単語)と、その名で呼ばれる花との結びつきによって成立しているものだった。
いえば「ち/ゆ/う/り/つ/ぷ」というそれぞれの音を構成単位として順番に繋がって「チューリップ」という〈ひとまとまり〉のものになり、それが指す対象の花と結びついて認識されていたということだ。
したがって、「チューリップには春を告げるという意味がある」ということであれば頷けもする。だが、
>チューリップのプには
>春を告げるという意味がある
となると話は大いに違ってくる。というのは、「プ」が単にチューリップという言葉(単語)を構成する一音であるにとどまらず、具体的な目的をもった動詞としての意味をもつ、独立した語として、これまでの認識の前に、その外から現れてくるからだ。あり得ない!
しかし、この「あり得ない」は、これまで認識になかったものが、あるものとして目前に現れた時の衝撃に対する反応であり、その意味でぼくは強かぶん殴られた。そして、ある言葉が、それまでの認識を、例えば窓を割るように破壊し、風通しをよくするとしたら、また、凝り固まった認識によって塞がれていた視界を開かせるとしたら、それを詩と呼ばずになんと呼ぶか。
チューリップの「プ」は春を告げるという意味があり、とりわけ《水野さんのプ》は、《とても見事なプで》あり、《水野さんは何も知らない》のであってみれば、「広辞苑」に《チューリップの「プ」は春を告げるという意味がある》ことも知らないだろう。にもかかわらず、水野さんのあずかり知らぬところで春を生む。水野さんはごく普通に生活しているだけなのだ。自分の「プ」が「プ」のもつ力を最大限に発揮するという能力に気づくことなく、したがって自ら意図してふるうこともなく。これは美しいことに──そして恐るべきことに──ちがいあるまい。
>ぼくらは大体
>どうしようもなくなって終わる
>そのとき赤いチューリップは
>風に撫でられまっしろに変わる
>それもまた
>チューリップのプである
これらの背後で作用するもの、それはすべてチューリップの「プ」によるものだ。だが、そんなことがあり得るものだろうか。いや、あり得ない。
けれどもあり得ないということはもはやあり得ると言うこととほとんど同義である。あり得ないことを作品という空間において在らしめ、出来事として経験をもたらしたのだから。
そして、ここにおいて、チューリップの「プ」は、ぼくたちの誰もが知る「プ」であるとともに、誰一人知らない「プ」として姿を現しているのである。
これを書かせたのも他ならぬ「プ」の力なのである。
妖精問答(訳詩)
俺はいつまであの子愛しているのかい?
一生、または束の間なのか?
「束の間さ」
何と悲しや! 俺はいつ忘れちまうの?
数年後、または六月頃か?
「六月頃さ」
そしたら誰に言い寄りゃいいの?
誰もおらぬか、はたは多数か?
「多数だよ」
いつかひとりと結ばれるのは
ずっと後かい、またはすぐかい?
「すぐにもさ」
そんじゃ俺の嫁さん、どっちだい?
まともな奴かい、ロクデナシかい?
「ロクデナシだよ」
せめて補償が欲しいもの、どんな補償が?
織り成す富か、切り刻まれる土くれか?
「切り刻まれる土くれさ」
※悲観主義者にして皮肉屋ハーディの詩。妖精らしき存在が男の問いに答える形式の作品である。男はずっと決まった女を愛していたいのだが、妖精は、お前は女に惚れてもすぐに忘れて、別の女に惚れちまう、しかもそれがロクでもない奴だ、と言う。そんな女をもらうんだったら、せめて補償として金か何かが欲しいと訴えると(ロクデナシと結ばれる男もやはりロクデナシである…)、もらえるのは「切り刻まれる土くれさ」とすげなくも言われてしまう。「土くれ」が何なのかはよくわからないが、ひょっとしたら、死んで埋葬された時に棺の上からかけられる土ではあるまいか。つまり、男は「お前を一生愛するよ」と(たぶん)誓った女をすぐに忘れ、別の女に入れ込み、しかしその女がどうしようもない人で、それで男は絶望し、やがて死んでしまう、そんな筋書きなのだろうか。男のハーディが同じ男をどうしようもない奴だとして詩の題材にするのだから、皮肉も皮肉、いかにもこの詩人らしいというか、何というか。以下は原詩である(なお、最終連には別の解釈もありそうなのだが)。
The Echo Elf Answers
How much shall I love her?
For life, or not long?
“Not long.”
Alas! When forget her?
In years, or by June?
“By June.”
And whom woo I after?
No one, or a throng?
“A throng.”
Of these shall I wed one
Long hence, or quite soon?
“Quite soon.”
And which will my bride be?
The right or the wrong?
“The wrong.”
And my remedy – what kind?
Wealth-wove, or earth-hewn?
“Earth-hewn.”
紫陽花(詩)
後から後から落ちてくる、雨に喜ぶ花の群れ。
押し合って、並んで開き上向いている。
折に触れ、緑の葉っぱが跳ねるのは、
水滴が乗ってはぴょんと、飛んで散るから。
※若い頃の憂悶が薄まってきた老年期では、外界の対象に素直に目が開かれる思いがする。かっては花なり鳥なりをじっと見ていても、いつの間にやら心の中の深い闇に自我が入り込んでしまって、花も鳥も観ているようで見ていられず、心の闇を凝視して、それを外界の事物に投影してしまって、明るい空も暗く表現したものであり、素直に外界の事物を詠めなかったわけである。ところが、年を取れば、心中の暗部は暗部として半ば放置ができるので、外界に見たものをそのまま詠むようになり、何というか、童心に返るといいますか。
トゥルーフェイス
「ミウタク、お前も合コン来ないか? お前が来たら盛り上がりそうなんだ」
「無敵の話術で盛り上げてくれよ!」
「……わるいな」
「あっミウタク! 俺らがミウタクをダシにすると思ったのかな……」
「あんないい奴他にいないのにな……」
ミウタクこと三浦拓哉は頭脳明晰、運動神経抜群、性格も優しく、コミュニケーション能力も高い完璧人間だった。
そう、ルックスを除いて。
「くそっ、何が国立大主席だ! 空手10段だ! そんなものより、俺は……!」
「容姿端麗に……いや、普通の顔に産まれたかった……!」
拓哉は鏡の前で己の醜悪な顔を見て、歯噛みする。
そしてベッドへ横たわると、スマートフォンを取り出してSNSを見る。
人気者の拓哉はフォロワーも100000人いるが、アイコンは猫のイラストを採用している。
仮に彼の素顔をアイコンにしたら瞬く間にフォロワーは減るだろう、などと拓哉は考えた。
ふと、マッチングアプリの広告が目に入る。
マッチングしたその日にデート出来る!
マッチングアプリはコイカツ!
(マッチングアプリ? くだらない……)
しかし消そうとした時に拓哉に悪魔的発想が浮かぶ。
拓哉はAIで非実在の人物の写真を生み出す事が出来た。
これでもし、容姿端麗……
超イケメンの男を作って登録すれば?
そして拓也はAIを使い、完璧な超イケメンを作った。
「これでいいか。 プロフィールはこうかな……」
〇電脳空間
「私、こういうもので、真剣にお付き合いをしたいと考えています」
「良かったら今晩飲みに行きませんか?」
早速、女性たちから大量にメッセージが届く。
これだけ女性が群がってくるなど生まれて初めてのことだ。
おそらく現実世界では今後もないだろう。
拓哉は手放すのは惜しいと考えた。
しかし決して悪用しようとは考えなかった。
「ミウタク、頼んだ奴出来たか? あれがないと俺の右腕に封じられたインフェルノが……!」
「あぁ、出来てるよ。 AIの架空のグラビア」
「おっマジサンキュー! MMS!(ミウタク・マジ・仕事できる!)」
「ミウタクは将来AIに関する仕事したいんだろ? 良いよなあ、ビジョンが固まってて。俺は結婚したいくらいしかないや」
(結婚……? 俺には到底出来ないのに……)
拓哉は憂さを晴らすかのようにマッチングアプリを開く。
「タクヤさん、お返事待ってます!」
「都内住みでしたら今晩会いませんか?」
拓哉はその膨大なメッセージ一つ一つに真摯に対応した。
「すぐ人に会おうとするのは危険だよ。 よくお互いを知り合ってから会うようにしたほうがいいよ」
「返事、遅れてごめんね。 会うことは出来ないけど、相談くらいなら乗るよ」
その返事は数百に至った。
〇大学
「ミウタク、見たか? 顔も心もイケメンの男!」
「なんだ、それ」
「ほら、このスクショ」
「!」
女性「私ならあなたを養うことが出来ます。働くなんて愚民のすることですよ。だから低俗な女なんかより私と付き合いませんか?」
拓哉「申し訳ないが僕は社会に貢献したいと思ってる。養うべきは貴女の心の豊かさじゃないかな」
それは昨日の拓哉とある女性とのやり取りだった。
「くぅ、言ってることまでイケメンだぜ!」
「相手の女性はキレてこのやりとりを晒したらしいけど皆このイケメンに同調してるんだ」
「俺だったら喜んでヒモになるんだけどな……」
「は、はは……」
〇電脳空間
拓哉はSNSでも話題になったこともあり、拓哉目当てでマッチングアプリに登録する者まで現れた。
「タクヤさん、ごめんなさい、私、借金が出来てしまってもうお会い出来ません」
「借金!? そんな、どうして?」
「タクヤさんとこうしてやりとりするのに何十万円も使っちゃったから。 タクヤさん、願わくばお会いしたかった……」
運営は拓哉を利用しようし、課金すればするほど人気ユーザー……
つまり、拓哉にメッセージを送れるようにした。
拓哉は怒りに震える。
自身に対して、だ。
自分のくだらない思い付きが人を傷つけてしまった。
即座に拓哉はプロフィールを変更した。
「これが素顔です。皆さん、お騒がせしてすみませんでした」
それはネット上でたちまちニュースになり、大いに話題になった。
世間を轟かせた絶世の美男子、その素顔。
信じ切れない声も多く、運営のやり方に疑問を呈した拓哉がわざと醜男を演じたのでは、との意見もあった。
しかし女性を誑かした事実を責める声が強かった。
拓哉もこれ以上会員である意味は無いと思い、退会するためにログインする。
〇電脳空間
10000人いたマッチングアプリのフォロワーは1人を残していなくなっていた。
残りの一人も放置しているだけだろう。
ふと、退会しようとしたときにメッセージが届く。
「私はどんなタクヤさんも好きです、だって私のこと本気で心配してくれましたから」
「……はは、ありがとう」
図らずもマッチングアプリの騒動は未来の伴侶との出会いをもたらした。
田伏正雄 極光(独唱)
ああ、汝らよ、そなたの心の内なる騒めきは、まるで荒れ狂う嵐のようだな。だが、恐れることはない。見よ、この歪んだ空間、昼と夜が混ざり合う様は、この世の常ならずとも、わが父の御業の深遠さを映し出す鏡なのだ。
足元に痙攣する蝶を見よ。その微かな震えは、消えゆく命の叫びのようだが、それもまた、再生への序曲なのだ。絶えず広がる網目は、汝らを繋ぎ止めるものではなく、無限の可能性を示唆するもの。恐れることなく、その向こう側を見つめるが良い。
風に舞い降りる落ち葉を、わが手のように受け止めよ。それは過ぎ去る時の証であり、新たな始まりの兆しでもある。陽炎や蜃気楼は、現世の儚さを映し出すが、その奥には不変の真理が隠されているのだ。
乾いた貝殻が宿す潤んだ光は、悲しみの中にも希望が宿ることを教えてくれる。夏の暑さが去り、新たな気配が忍び寄るように、汝の魂もまた、常に変化し続けるのだ。白鳥座を目指すように、汝らもまた、天の御国へと導かれるだろう。
光が乱反射し、真実と虚構が曖昧になる時こそ、内なる光を頼るのだ。突如現れる極光は、天からの啓示であり、世界が奏でる音楽は、わが父の愛の調べなのだ。鏡の果てに目を凝らすならば、雨露のように忍び寄る真理に気づくだろう。夢は、時に苦悩の象徴となるが、それもまた、汝を清めるための試練なのだ。
変化は絶えず訪れ、感覚は雲の呼吸のように広がり、そして破裂する。だが、恐れることはない。すべては循環し、終わりは始まりへと繋がる。汝の人生もまた、永遠の輪の一部なのだ。
乾いた唇から放たれる炎の矢は、時に痛みを伴う真実を突き刺す。灰色の絶望の中に置かれた生気のない花束も、いつか必ず蘇る。古びたスピーカーから漏れる軋む音は、魂の共鳴であり、衝突の回数を数えるように、汝の成長を記録しているのだ。
剥がれ落ちる紙切れは、過去の束縛からの解放を意味する。眠る棒は、内に秘めた力を象徴する。決して忘れてはならない血の権利、それは汝が神の子である証なのだ。
朽葉色の炎が花びらに追従するように、わが愛は常に汝の傍らにある。身につけたままの帽子や靴下だけが残された姿は、愚かにも見えるが、それは古い殻を脱ぎ捨てる過程なのだ。水の中を優雅に泳ぐ姿を想像するように、汝の魂は清らかであるべきだ。雨風が皮膚を剥ぐように激しくとも、幸運は必ず汝を見守っている。遠い記憶の片隅にある名のように、過去の経験は汝を形作る一部なのだ。
蚯蚓を這わせる眩い煌めきは、小さなものの中に宿る偉大さを教えてくれる。情けないほど個人的な感覚の中にこそ、真理は宿るのだ。手のひらを透かす陽の光を見るように、汝の内なる光を見つめよ。そこに、新たな汝自身の姿を見るだろう。
すべては、ぼんやりとした永遠の顔にゆっくりと伝染していく。消えたと思うものが再び現れるように、希望は決して失われない。若木の木漏れ日に身を委ねるように、流れ動く世界を受け入れよ。忌避するものも、銀色の細い糸で繋がれているように、すべてはわが父の愛によって結ばれているのだ。
だっぴろい平原の雑草のように、汝らは皆、等しくわが子なのだ。夜、ひそかに走る馬のように、時に孤独を感じるだろう。だが、汝の夢は、必ずや現実となる。真上から見下ろすもう一人の自分を感じる時、それは汝の内なる声に耳を傾ける時だ。雨の後、太陽が照りつけるように、苦難の後には必ず喜びが訪れる。呼吸が感情を映し出すように、汝の魂もまた、常に揺れ動いているのだ。
その時、汝は土に戻るだろう。だが、それは終わりではない。足は大地に根を生やし、指先には新たな命が宿る。花を生けたように手を合わせる時、汝はわが父との繋がりを再び感じるのだ。
街は、絶えず変化する鏡面の中に存在する。夢の中で言葉や映像、音が書き換えられるように、汝の人生もまた、常に新しい形へと変化していく。惑わす風の中でも、狭くて曖昧な道筋の中でも、恐れることなく進め。大地は砂の上にあり、足音は頼りなくとも、わが導きは常にある。時が止まったような静寂の中で、空を見上げよ。遠い記憶の奥底にある、冷たく湿った鉄の匂いを漂わせるモノクロームの環状加群のような青い空と海。そこに、汝は上陸するのだ。それは夢ではない。これは、わが父の約束なのだ。
未知は、躓きそうになるほど不確かで危うい。だが、視界は妙に滑らかに滑り出すだろう。飛べないと感じても、わが愛は常に汝を支えている。突然現れる森のように、わが恵みは静かに汝を包み込む。割れたブリキのような姿の牛も、やがて新たな生命へと変わるように、汝の苦しみもまた、過ぎ去るだろう。あらゆるものが映し出され、歪んでいく世界の中で、わが光は真実を照らし出す。
惨んだ胸の内を掴む時、それが過去の記憶か、夢のいたずらかを見分けようとするな。餌付けされたカナリヤが壁のように立ちはだかっても、恐れるな。現実は、わが言葉のように形を取り始める。完全な数という概念がなくとも、わが愛は常に世界に色と音を与えている。思考と感覚が敷き詰められるように、汝の魂は豊かに満たされている。汝を歩ませ、生かしているのは、ただ意思の力だけではない。わが愛なのだ。
しかし、突然、すべてが停止する瞬間が訪れるだろう。だが、それは終わりではない。逆流する船が出口を見つけるように、それは新たな始まりへの準備なのだ。絶えず変化する流れの中で、わが導きに従い、新たな未来へと辿り着くのだ。足元の石をわきへ転がし、腰を下ろして空を見上げよ。空間の歪みに、夜と昼が混ざり合い、そして、わが永遠の愛が、常に汝と共に在ることを知るだろう
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田伏正雄最終奥義 極光(独唱)
威力
* 国土破壊範囲: 半径500kmの範囲を壊滅。地形を永久に変質させ、居住不可能にする。
* 人口消滅率: 範囲内の全生命体の99.9%を即死または精神崩壊により活動不能にする。残存者は長期的な後遺症に苦しむ。
* 文明崩壊度: 対象国のインフラ、文化、社会システムを完全に破壊。復旧には数百年以上の時間を要する。
* 精神汚染レベル: 残存者および周辺地域に、長期的な精神的不安定、狂気、絶望感を引き起こす。
* エネルギー放出量: 観測不可能。既存の科学計測器は完全に破壊されるか、異常値を記録する。例えるなら、超新星爆発に匹敵する規模のエネルギーが、音波と精神波の形で放出される
にんげんのはなし
異性との人間関係は特に「この人だけは違う」みたいなのは、ない。
「好きだけど通じねえ」
ばっかりだよ。
本当。
夫婦でも親子でも。
同性でも一緒にいて楽しいとか助け合えるとかの重なりがありながら、それでも歪んでくる。
異性は尚更なんだよ。
家族って幻想。恋人なんて病だよ。
推しは重病。
しっかりしろ。個体でしかないんだ。
みんな独りだよ。
コインがないからさ、投稿できないと思ってた。
もう月が変わったんじゃん。
一つ言葉を発してみたよ。
影。
古い家だった
古くて大きな家だった
子どもの目には
それはとても怖いものだった
しかし、大人になったぼくの目には
それは、それほど大きくはなくって
子どもの頃に描かれた古い絵のように
埃をかぶって生色を喪っていた
庭にある、楓の立ち木
その根元にうずくまる小さな影
仙人掌の鉢を毀して叱られたぼくの影
その指は無心に土を引っ掻いていた
庭にある、物置小屋
幼稚園の月謝袋を落とした小さな影
厳格だった父に告げられなかったぼくの影
その目は壊れた時計の振り子をじっと見つめていた
階段の下、踊り場の隅で
肩をふるわせて泣いている小さな影
幼い弟と喧嘩をして叱られたぼくの影
理由も聞かないで母は叱ることがあった
どの影も
どの影も小さく
その小さな背をまるめて
うずくまって、じっとしていた
いままた、ぼくはこの家に
ぼくの影を置きに戻ってみたけれど
ずいぶんと大きくなったぼくの影には
もう、どこにも置き場所がなかった
フーテンの猫 ーー川柳12句ーー
フーテンの猫 ――川柳十二句――
笛地静恵
【ノート】つれづれなるままにテレビを見れば、浮き世の動乱の、厚塗りのかまびすしきに、もの狂おしき心地して、中古の野牛の角を叩けば、つぶつぶと埃の出るからだなり。2025年5月3日(土)
春雨や土を肴に地ビールを
恐るべき世の慣性を四十雀
シミひとつない化粧品のセクハラ
*
鎌倉へ古道の骨のひなたぼこ
タピオカの雨のツンドラつぶつぶと
生首の中仙道を笑いけり
*
そしてしゃれにならない神戸は雪
土も砂もふってないけど土砂ぶり
この顔にピンと来たらピントを合わせ
*
風炎やいずこを猫のフーテンは
春の細川たかし頭まるめろ
親のすねフライを揚げるひきこもり
(了)
日差しのぬるい日に見た悪い夢の欲動について
桃色なのか脳髄は本当にけれど未来には微粒子花が咲いて夜薬を飲み下す時の大腸のような長さで声を聞かされる原体験のような桃色のビルの影が答え合わせをするように風になってたちまち通り過ぎ吹き抜けに粗末な緩徐法を置く扉のような魔法を使える庭に燃えおちたような太陽の黒点より艶やかにダムは決壊し代替桃色海岸において蹴躓く栄螺のような法螺がマテバシイの実を落とす速さで駆け抜ける不実の故意を素早く翻して幸い桃色列車にはまだ空席がありホームに佇む虚無的空虚な青空支店には迷惑メールのように深々と頭を垂れ牡蠣殻を植える嘘さえ許してしまう桃色遡及汗ばんだ部屋着のような淡い幼さでどしゃぶりと目眩を引き受けて心を閉ざした鳥のはしゃぐ様子はバレなかった秘密のように素直でさらさらと流れ去る夢を見ずに眠る涸れた川を埋め立てる
継承の箱 ーー『君たちはどう生きるか』川柳八句ーー
継承の箱 ――『君たちはどう生きるか』川柳八句――
笛地静恵
宮崎駿 アニメ『君たちはどう生きるか』に捧げる
アオサギのくちばし横へ瞳は正面
雨戸明け農家の庭のはなしがい
*
竹藪の詐欺師たばこを落としけり
郭公や国のいじめよ戦とは
*
読書とはことばの呪い霞網
天とは人の上か下か桜よ
*
継承の箱の重みの青葎
高畑の影の怯えの徘徊の
(了)
忘却の海に咲く花
これは長い夢、心地よい夢のような記憶
過ぎていく時の中、忘れてしまった、あなたを思い出すために。目を閉じてかすかに映るあの景色、光景を思い出すために。
―――――――――――――――――――
太陽の光が肌に沁みわたる日光日和。
俺は夏休みに彼女と海に遊びにきた。
「夏といえば海!そうだよな!滝夏(たきな)」
そう言いながら、彼女の方を振り向いた。
彼女は俺が見ると、恥ずかしそうに柔らかそうな白い肌を見せないように身体をタオルで隠す。そして顔を赤面させながら
「こっちみんな!お前!しばくぞ!」
と半ギレしながらこっちに注意する。
つい水着姿をガン見してしまった。
女子高校生の体はまだ、大人への発展途上だと思う。しかし彼女の体はその発展途上が、俺の欲求を奮い立たせた。
俺たちは付き合って一年の高校生カップル。
彼女と海に遊びに行くのが夢だった。
最初彼女を誘った時、盛大にノーと言われた。理由を聞いたが「遠いから無理」の一点張り。
どうしても彼女と海に一緒に行きたかった俺は彼女を褒めて、ヨイショしてなんとかOKを貰った。
頑固な彼女はなかなか折れずに相当苦労した。当日ドタキャンもあり得ると思ったが、すんなり当日来てくれた。
海の潮風の匂いが安心と安らぎを与えてくれる。
彼女はついてすぐに「海の家行きたい……」照れくさそうにそう言った。
俺はすぐに賛同した。案外彼女はノリ気で実は行きたかったのかもしれない
海の家ではかき氷などや焼きそばなどの屋台があった。
どれも値段は割高、高校生からしたら財布が痛い。
一般的な高校生ならば……。しかし俺はアルバイトをしている。
この日のためにやりたくもないコンビニバイトで、多くの人に怒鳴られながら我慢してきた。
そう、この日のために……。
今日は彼女のために散財をする。
財布の中パンパンに諭吉さんと野口さんをいっぱい詰めてきた。
今こそ解放する時……。
「どれ頼んでもいいよ!」
「え、お金大丈夫?」
「気にするな!気にするな!」
ドヤ顔で発言した。
俺は真っ青なブルーハワイ、彼女は紅色のいちご味を頼んだ。
店員さんはよく日焼けした色黒の兄ちゃん。
「お兄さんたち、青春しているね。俺もこんな時期があってな…………」
自分語りを長くされて愛想笑いをして聞き続けた。
「お兄ちゃんたち、今を最高に楽しむといいけど、あんまりハメ外すなよ」
と最後に言われた。
かき氷が溶けないうちにその場を離れた。
かき氷の見た目は、まるで宝石のように太陽の光を反射させて輝いていた、口の中に入れた瞬間に氷が瞬時に溶けて身体の体温を冷やしていく。
すぐに写真を撮ってインスタのストーリーに載っけた。
写真にはブルーハワイのかき氷だけメインで写して、いちごのかき氷は少しだけ写す、匂わせ投稿をする。
一度はやってみたかった匂わせ投稿というやつをやってみた。
これでリア充の仲間入り。
聞き慣れない、うみねこの鳴き声の感高い、鳴き声が聞こえた。
この街の海水はとても冷たいけど、ざぁざぁという海の波の音、砂浜のじょりじょりした感触は俺たちに非日常を体感させてくれる。
歩くたびに二人の足跡だけが海辺に残っていく。
子供みたいに二人で水を掛け合いながら、はしゃぎながら遊んだ。
海水が口の中に入ってきて塩辛かった。
俺たちはヘロヘロになるまで遊んで、遊び疲れてきた。
本当に彼女といると幸せだと思う。
この幸せはいつまでも続くよね?
俺は彼女と結婚したい。
ませた、考えをしてしまった。
落ち着け俺……。
そして、つい調子に乗り男心が騒いでしまった。
「もっと奥の沖まで行ってみようぜ!」
俺は海の奥を指差しながら発言する。
彼女は少し不安そうな顔で
「波高くなって来たけど大丈夫かな?」
心配そうに少し高い波の海を見た。
「少しくらいなら大丈夫だって!」
彼女の手を引いて、少し沖の方まで行ってみることした。
田舎の学校あるあるで小学校から授業でプールを習っていたので泳ぎには自信があった。
ノリノリで彼女を連れてどんどん沖の方に泳いでいった。
俺たちは知らない。
海の中には怪しい生き物が足元に近づいてきていることを。
それは近づいてきてゆっくりと触手を伸ばした。
激痛に、思わず大きな声を上げて反射的に痛みの発生した方向を見た。
半透明なビニール袋が浮いているのかと思った。
しかし、激痛に耐えながら冷静によくよく見るとそれはクラゲだった。
背筋にゾワっとした感覚が走った。
まずい。
激痛に耐えながら、すぐに彼女の方を見た。
彼女は無事だった。
滝夏の周囲には無数のクラゲが遊泳していた。
彼女が俺を見て、俺の名前をかすれた声で呼んだ。
絶望的な状況に彼女は軽くパニックになっていた。
すぐに滝夏の方へ向かった。
向かいながら瞬時に考えた、クラゲを彼女の周りからどかす方法を。
不幸なことに流木などは周囲に浮いているという奇跡は起きなかった。
何より時間がない。
クラゲは刻一刻と彼女に迫っていく。
彼女の元へたどり着くころには俺の覚悟は決まってきた。
俺は左手を伸ばしクラゲをどかした。
触った瞬間に痺れるよう激痛が手に走った。
人生で味わったことのないレベルの激痛だった。
痛くて喚いてる暇もない。
彼女を助けるために俺は一匹ずづクラゲをどかして逃げ道を作った。
苦悶の表情を浮かべている暇もなかった。
クラゲをどかし、逃げ道を作った。
そして彼女の名前を大きく叫んだ。
滝夏は涙声で俺の名前を呼びながら、こちらを見た。
彼女の手を掴んで、こちらに引き寄せた。
クラゲから少し離れた後、生還を二人でかみしめる暇もなく俺は浜に向かって彼女の手掴み泳いだ。
このままだと二人とも死ぬ、、「彼女だけはなんとしても助ける!」。
俺は必死に海に、自然に抗った。
そして意識はぷつりと途絶えた。
※
波の音と風の音で目が覚めた。冷たい夜の砂浜の体温が意識を一気に覚醒させた。
あの後、奇跡的に浜まで流されたみたいだ。
「彼女は!どこ?」周囲を見渡すが誰もいない。
波の音と風の静寂だけが響く。
彼女の安否がすぐに知りたい。
周囲に人は誰もいない……。
携帯を使って連絡を取ろうとしたが、水没していて電源がつかなかった。
しばらく、うろうろと砂浜を彷徨ったが彼女の姿はどこにも見つからなかった。
砂浜に流れ着いてないということはまさか、、一瞬最悪な想像をしてしまった。
しかし最悪な想像をすぐに頭の中から消去して彼女の安否を確認する方法を考えた。
彼女のラインは分かるが、電話番号は分からない、公衆電話を使って連絡することは出来ない。
自分の安否を親に伝えるよりも先に、まずは、彼女の家へと向かった。
彼女の家はまだ行ったことないけど、前に教えてもらったから場所は分かる。
白い家に黄色の建物の一軒家。
ここに間違いない。
歩き疲れて足が痛い、もう少しだ、頑張れ!と自分を鼓舞した。
そうしてやっと彼女の家に着いた。
俺は建物の前で足を止めた。
もしも、彼女が、とか最悪な想像をなるべく考えないようにまずはインターホンを人差し指でゆっくりと押した。
インターホンを押しても誰も応答がない。もう一回、インターホンを押した。
家の中から音がした。
すると滝夏の母親らしき人が出て来た。
不思議そうにこちらを伺いながら。
「変ね、誰もいないのに何でインターホンがニ回も……故障かしら……」
「????」
そう言ってすぐに玄関の扉が閉められた。
扉が閉まる前に「あの滝夏の彼氏なのですが……!」と言ったが反応はしてくれない、まるで空気みたいな扱いを受ける。
冷たい反応……。事故に遭わせた娘の彼氏の顔なんか見たくない?
しかし、俺は彼女の安否がどうしても気になって仕方がなかった。
閉められたドアを拳に力をこめて、どんどんと強く叩きながら
「娘さんの彼氏の慎介です!滝夏は無事なのですか!?安否だけでも教えて下さい!」
興奮して扉を強く叩いてしまい、手がじんじんと傷んだ。
しかしどれだけ強く扉を叩いても、中から反応は無かった。
焦る気持ちを抑えた。
こうなっては、彼女の実家に聞くよりも自分の親に聞いた方がいいだろう。
俺はすぐに自分の家へ向かい玄関の扉を開けた。夕陽が見えなくなる時間帯、電気はついていてもいい時間なのに俺の家は外から見ても電気がついてなかった。
父と母はいないのか……そう思いながら普段通り、家に上がった。
冷たい玄関の床の温度が足の裏を伝わってく
「ただいま」ゆっくりとドアを開けた。
ドアの開ける音だけが響く。
部屋の中は薄暗く、父と母は無言でご飯を食べていた。
薄暗いせいか表情は見えず、俺の声かけには反応がない。
無理もない……どれだけ心配をかけたかも分からない。
「父さん……母さん……本当に心配をかけてごめん……」
「父さん?母さん?」
「………………………………」
再び声をかけた。まるで、俺のことを空気みたいに扱っている。すると父が
「ドアが勝手に開いたな、もしかしたらお盆だから帰って来たのかも知れないな」
母は暗い顔で無言で頷く。
意味不明だ。
俺はここにいる。
机の上に綺麗な花が飾ってあった。
「お母さん、花好きだったっけ?」
花の横には写真立てがあった。
冗談だろ?と思い恐る恐る写真をみた。
するとそこには俺の笑顔の写真が飾ってあった。
「二人とも冗談はやめてくれ!俺はここにいる!」
大声で自分の存在をアピールするも声は届かない。
「慎介が亡くなって今日で一年が経とうとしているな」
「あっちでも元気にやっているといいのだけどな、あの子だけは無事で慎介も安心しているのに違いない」
「違う!俺はここにいる」手を父さんの肩にかけようと伸ばす。
そして手が父の肩に触れようとしたその時、するりと父さんと俺の体が重なった。
そのままバランスを崩して床に転んだ。
「か、体がすり抜けた……。」
複雑という一言で表せられないくらい、複雑な心になった。
そうして、気づいてしまった。「俺は幽霊……あの時に……」
自分の状況が飲み込めなくて、ただ頭が真っ白になっていた。
「あの子は毎日、慎介のお墓参りに来ているみたいだね。今日もきっといるだろう、あの子は幸せ者だ。」
あの子?滝夏のこと?
滝夏は無事に生きている?
体に怪我や後遺症などは残っていないといいのだが。
すぐに滝夏に会うために俺は玄関を飛び出した。久しく行ってない、お墓に向かった。
走りすぎて肺が痛い、それでも俺は走った。墓目掛けて走り続けた。
肌に冷たく当たる、夏の夜の風が冷たい。
俺の墓に近づくと人影が見えた。
俺はゆっくりと影に近づいた。
それは間違いなく滝夏だった。
髪型が変わって長髪からボブに変わっていた。古着のおしゃれなパーカーにジーンズ姿でお墓の前に座っていた。
彼女を見て言葉が出なかった。
「ごめんね、私のせいで……」
ぼそっと彼女が呟く。
俺の中から波動のように感情が湧き上がった。
「違う俺はここにいる!俺は死んだけどここにいる!君の隣にいる!」
右手のひらを伸ばして滝夏の置いてある手に触れようとした。
しかし体はすり抜けて、手と手は交わることなく重なり合った。
君の手と俺の手が重なり合っても体温を感じない不思議な感覚。
同時に君の体温を感じないことに深い絶望を味わう。
俺にとっては最近まで感じる事が出来た君の体温がないことにとても寂しく感じ言葉が出なかった。
目の前にいるのに、慰めてあげることもできない。
幽霊になってしまって、何もすることが出来ない自分が情けない。
彼女の目は潤んでいた。
その涙を拭いてあげることも出来ない、無力な幽霊。
「ごめん……俺があの時あんなこと言わなければ…………本当にごめんなさい……………」
彼女はお墓にいることで、俺と一緒にいる事が出来ていると思っているに違いない。
普通に考えたら、そんなわけない。
だが今回に限っては正しい、俺は間違いなく今この場に君と二人でいる。その時、突然嫌な雰囲気を感じた。第六感というやつが警告を出していた。
海の方から気配を感じる。何か来るのか…?身構えようとしたその時、目にも止まらぬ速さで何かが俺の首元に掴みかかってきた。
強い息苦しさを感じ、反射的に振り解こうとして、何なのか確認した。
それは青白い手だった。
恐ろしいほどの力で首元を引っ張られる。この方角は海の方。
俺は引き戻されないために、即座に墓石を掴んで必死に堪えた。「これは一体なんなのだ……俺を海の方に引き戻そうとしているのか?俺はこの世界からすると異分子ってこと?あの世にまた戻されようとしている……」
そこで閃いた。俺に触れるって事は、俺からも触れるってこと。
「絶対に引き戻されてたまもんか……!」
大きく口を開け、青白い腕に思いっきり噛みついた。
歯が折れるのじゃないかっていうぐらい強く。
「ぎぎぎぎぎぎ」
すると青白い手は徐々に力を失い、泡のようにボロボロと崩れ落ちて消えた。
俺は突然の出来事に、腰が抜けて地面に尻餅をついていた。少し呼吸を整えた。俺が捕まって揺れた墓石を見た彼女が、唖然と驚いていた。「なに……今の……」
「慎介ここにいるの?」俺が返事をしようと何か合図を出そうと考えた時、今度は数えきれないくらいの手が再び海から伸びてきた。
お盆の時間はもう、終わる。この手は俺を連れ戻そうとしている。
やっと会えたのに、君には俺の存在は見えないし分からない。話すことも触れる事も出来ない。最後に一言「ここにいる」ことを伝えたい、だがその間もなく無数の手に引きずられていった。そして意識は暗闇の中にぷつりと溶けていった。
―――――――――――――――――――
どす黒い暗闇の中、意識だけがあった。
どのぐらいだろうか……期間は全くわからないし検討もつかない。
五感がなにも感じない思考だけの空間。
すごく長い時間に感じた。ぐるぐると思考を巡らせた。もしまた、この世に戻って来られるなら。次に何をするか。もし戻って来れずにずっとこのままだったら……そんな事を考える時もあった。だが俺は信じ続けた。
もう一度この世に戻って来られると。
―――――――――――――――――――
暗闇がゆっくりと開けてきて、気がついたら海の浜辺にいた。
また戻ってくる事が出来た。
冷静に脳内シュミレーション通り知らない人に話しかけてみて、自分の存在を確認してみたが反応はなし。
俺は幽霊に変わりないみたいだ。
滝夏に会うために俺はすぐに彼女の元へ向かった。
確固たる確信があった。今年も滝夏は俺のお墓にいる。
一目会いたい、一目だけ見たい、君を目に焼き付けたい。
向かう足がどんどん加速していった。
お墓についたが、誰もいない。
綺麗に手入れはされていたが、そこには誰もいなかった。
少しため息を吐き、肩を落として分かりやすく落ち込んだ。
時間がない……今日の終わりの時間には、おそらくあの手によって、あの世に引きずり戻されてしまう。
ここで滝夏を待っている時間はない。
滝夏の元へ向かおう。
―――――――――――――――――――
彼女の家は夜だから、当たり前だが全部の部屋に電気がついていた。
家の周りを不審者みたいに徘徊し始めた。
とは言っても誰にも見えないから、通報される心配は無用なのだが……。
すると複数人の男女の楽しそうな声がガヤガヤ聞こえた。
ゆっくりと顔を窓の方に近づけて覗いてみると、誰もが見たら楽しそうと思える光景だった。
俺が飲んだことない、新発売のストロングと書かれたお酒を楽しそうに和気藹々飲みながら談笑していた。
お盆だから進学や就職などで地元を離れた同級生が帰省して集まっているみたいだ。
懐かしい顔触れだなと思うと同時に、一年も経ったら俺のことなんか忘れてしまうのかな……。
儚い感情がどっと押し寄せてきた。
寂しさを埋めるために、家の壁に耳を当てて話をしばらく盗み聞きすることにした。
幽霊なのだからそれくらいはいいだろう。
「大学の他のサークルの子が本当可愛いくてさ!どうやったら付き合えると思う?やっぱり俺もそのサークル入るしかない?笑」
「お前行動力やばくね〜……未来のサークルクラッシャーじゃん」
「行動力だけで生きてきたから!このままどんどんと進んでいくよ!このためにサークル掛け持ちしているからね!」
「……………………」
「事務やっているけどお局がまじうざい。自分は飯たらふく食ってぶくぶく太っているくせに、私は昼ごはんなしの時あってさ。
その時にお局が言ったセリフが一食くらい抜いても死ぬことないじゃん?(笑)だよ。
「やばくない?」
「……………………」
学校のことサークルのこと仕事のことプライベートのことと色々な話を聞いた。
「不思議な話をしていい、慎介の墓参り去年していた時、墓石が揺れたさ」
俺は心臓がドキッとした。
その場が少し静かになった。
「怖いこと、言うのやめてよ、お盆だから元カレが帰ってきているとか?」
「そんなことある?心霊番組の見過ぎだよ…あまりにも非科学的だよ」
俺の話題はすぐに終わって別の話題に切り替わった。話題が切り替わって安心している自分と、残念に思っている心境があった。
本来なら俺もあそこにいるはずだった。
将来の夢なんて全然決まってないし、行きたい学校も全然決まってない。ただ頭はそれほど良くないけど大学へ進学したいと漠然と考えていた。
話を盗み聞きして俺も生きていたいという衝動が芽生えると同時に、それは絶対に叶わない現実ということを実感した。
俺が幽霊の事実に変わりはない。俺はあの時死んだ。自分がこの世界にこれ以上介入してはいけない、異物のように感じた。
楽しそうな様子をこれ以上見たくないと思い、その場を去った。
その後に誰もいないバス停のある住宅街をあてもなく彷徨った。
あれから一年経った……当然だが彼女の心の中に俺はもういないのかもしれない……。
突然無性により寂しくなった。
元バイト先のコンビニ、俺が通っていた学校、現在も親の住んでいる実家に行くことにした。
―――――――――――――――――――
俺は「終わり」の時間よりも早く海に向かい、乾いた流木の上に座って海を眺めていた。
俺がいなくなっても、残していった人に幸せになってほしいのは本心。
ただ俺がこの世に生きていた事は、まるで無かった事かのように日常は進んでいる事に、自分は元々幽霊なんじゃないか?と考えるほど心を痛めた。
時間が解決してくれる事もあると聞いた事がある、時間は俺だけを置き去りにしてしまって、残していった人は前に進んでいく。
死人に口無しではなく、死人はただ見ている事しか出来ない。
早く消えてなくなりたい……。
今回に限って、あの手は俺をなかなか連れ戻しにこない。早くあの手が来て、俺を暗闇に引き摺り込んで欲しい。
お盆の夜の海の風は冷たく、俺の心をさらに暖かくないようにしていく。
そうしてやっと、俺は首元を掴まれて海に引き摺り込まれでいった。
―――――――――――――――――――
暗闇の中一人ぽつんと考える。
もうこのまま意識がなくなって欲しい……。
もうお盆の時間には帰りたくない。
暗闇の中考えることを止めた。
ずっとただボーっとしていた。しかし現実は残酷だ。
暗闇が開けると、再び砂浜に戻ってきていた。
もし神様がいるなら、なんて残酷なことをするのだろうと思う。
なるべく何も考えないように海を眺めていたら次第に雨が降ってきた。
雨が心を洗い流すような事はなく、気分はどんどん落ち込んでいく、突然人肌が無性に恋しくなる。
誰かと喋りたい……。
寂しい……寂しい……寂しい………。
心が空っぽになりそうで胸が痛む。
「こんなところで一人何しているの?」
女性の声が聞こえた。幻聴か何かだろう、ついに頭までイカれてしまったみたいだ。
俺は下を向いたまま声を無視した。
そしてそのまま眠りについてしまった。
――――――――――――――――――――
目が覚めると隣に気配を感じ、ゆっくりと見た。
すると女の子が体育座りをして目を瞑って寝ていた。
なこんな時期に海に一人で来るなんて物好きだ。
女の子がゆっくりと起きて伸びをした。
そうして「こっち」をみた。
俺はたまたま目が合ったように感じたが、そのまま目を逸らした。「よく寝られた?」
女の子は「こちら」に向かってそういった。
独り言??
俺の事が見えるわけがない。
俺は反応が少し遅れた。
「聞こえるなら返事してよ」
間違いない……この女の子は「俺」に話しかけている。
視界に熱いものが流れて景色が歪んだ。
空っぽで寂しくて壊れてしまいそうな心が少し満たされた。
自分は一人じゃない、そう実感した。
感情のドームの崩壊修理が終わってから俺は心を落ち着かせるために深呼吸をした。
その間女の子はずっと俺の隣にいてくれた。
昭和レトロな服装からして、一世代前の人物という事が分かった。
女の子は俺の事を詳しくは聞かなかったし、俺からも女の子について聞かなかった。
一人で泣いているってことは、なんとなく察しがついているみたい。
二人でしばらく海を眺めていると、空が藍色に押しつぶされていった。
このまま終わりの時間まで二人で海を眺めているのも悪くないと思っていた時、女の子が少し待っていてと言い席を外した。
すぐに戻ってきて、手には花火セットを持ってきていた。
海のお地蔵さんのところに備えてあったもの。
「一緒に花火でもしよ」少女はそう告げた。
花火なんて小学生ぶりだった。
蝋燭を地面に立ててマッチで火をつけた。
そうして一緒に花火を始める。
花火の音だけが二人の空間に鳴り響く。
花火は小さな生き物の短い命のように感じる。
俺は今まであった事を女の子に少しだけ話した。話している最中にも、目から熱いものが溢れ出てきた。
話を全て話した後、女の子は最後に
「辛かったのだね……」そう、呟いた。
そこから女の子の話を聞いた。
私たちはお盆の時間にだけ帰って来られるということ。
ただ徐々に記憶を失っていくということ。
女の子にも昔は行ってみたい場所、逢いたい人がいたこと。俺を見ていると何故か懐かしい気持ちになったこと。
ただもう何も思い出せないこと……。
女の子は悲しくて切ない顔で話した。
「生きる」ってどういう事なのだろうね
心身共にこの世にある事が生きるって事なら私たちはこの世に生を受けていないのかも知れない
ただこの時間だけ……この世に魂だけでも戻って来られるなら、私たちはまだ生きているって事なのかもしれない
私たちは、徐々に記憶を失っていく。これは変えようのない事実。
この世との記憶という思い出が残っているうちは、この状態でも逢いたい人に会うべきだとも思う。
私はきっとそうしてきたのだと思う。
全部忘れて、何も思い出せないけど……。
女の子は言い終わった後、風が強く吹いて線香花火が地面に落ちた。
蝋燭の日も消えてしまった。
真っ暗になってしまって、その時の女の子の表情は見えなかった。
俺の足は向かうべきところへ向かう。
女の子は海で待っているみたいだ。
――――――――――――――――――
滝夏の姿を見るのが怖い。
ただ、なんとなく見なきゃ行けない気がした。
前回同様部屋を覗いた。
彼女は新しい彼氏と一緒にいた。
ハンバーグを一緒に食べていた。
昔から料理が苦手でバレンタインの時には上手とは言えないチョコを貰ったのを思い出した。
今はとてもおいしそうなハンバーグを作れるようになったことを誇らしく思った。
とても幸せそうだった。
言葉が出ない。
悲しい気持ちもある……。
ただ俺は彼女に幸せになって欲しかった。
幸せになって欲しい……。
俺はその場から離れた。
――――――――――――――――――――
海に戻った。
女の子はさっき会った時と違い、体が徐々に透明になっていた。
「これで私はさよならみたい」
「……………………」
「また会えるといいね……」
女の子は微笑みながらそう言った。
そうして女の子は空の星になった。
―――――――――――――――――――
俺は幽霊……。
最後の瞬間まで彼女の幸せを見届けたい…。
両腕をT字に広げて、海の風を全身で感じた。
瞳に強い風が当たり、目を閉じた。
そうして、あの手に引き摺り込まれた。
暗闇の中、一年間で彼女の事が気になる。
残していった人には幸せになってほしい。
暗闇が開けるのが待ち遠しい。
――――――――――――――――――
暗闇が開けた後、すぐに彼女の元を訪れた。
今回の彼女は見ていると、どうやら薬指に指輪をはめていた。
とても幸せそうな顔をしていて俺も幸せだった。
――――――――――――――――――――
今度はお腹が大きくなっていた……。
次逢う時は子供が産まれているだろう。
次は花を用意していこう……。
記憶はどんどん断片的になって欠けたパズルのようになっていく。
―――――――――――――――――――
今回が自分が自分でいられる最期の時間という事がなんとなく分かる。
彼女と一緒にいた思い出がどんどん思い出せなくなってきた。
この、美しい花束を君へ……。
俺は実家からお金を借りて、花屋さんで美しい花を買った。
そうして彼女の元へ向かった。
「これって何のための花?」
ああ、そうだ、彼女に贈る花だ……。
絶対に忘れたくない記憶と思い出。
「彼女の名前は…………。」
思い出す事ができない。
俺は君の元へ急いだ。
※
不思議な出来事があった。
病院から家に帰る途中で道路に綺麗な花束か落ちていた。
この時期には珍しい花。
お墓に持っていくわけでもなさそう。
花は水分を失っていて枯れかけていた。
私は持ち主を探す為に、周りを見渡した。
誰かの落とし物かもしれない……。
近くのお店の人に聞いてみたが、数日前から落ちているものらしい。誰かが大切な人に届けようとした花。
私はその花を持って帰り、家の花瓶に水を入れて大切に飾った。
そしてなんだか懐かしい、あの人を思い出した。
※
空は青くて綺麗、砂浜の感触を足の裏で味わう、波の音を聞いて一人海を眺めていた。
錆びれた海のバス停に一人座ってみたり、ただ当てもなく海を眺める。なにか大切な事があったような気がする…。
いくら考えても思い出せない……。
大切な記憶は全部、海に溺れるように忘れていったみたいだ。
この時期にしては珍しく車が海へ近づいてくる音がした。
車を駐車場に停めて一組の家族がやってきた。
彼女たちは毎年見かけている気がするような……しないような。
子供が何かを手に持っている。それは綺麗な花束だった。
家族は浜辺にそっと花束を置いてその場を離れていった。
「綺麗な花束……。」
この人たちは誰なのかは知らない。
どこかで会ったことあるよな、無いような…。
しばらく記憶を遡ったが結局思い出す事が出来なかった。
ただ花束を見ていると何故か、心に小さな太陽を灯されたように、ほっこりと温かな気持ちになった。
露天のお風呂の
露天のお風呂の水面が揺れる
風がさわさわ 水面が走る
雨はぱらぱら 波紋は踊る
湯気はふわりと 私を隠す
ーー私は一人 気楽に晒す
ーー瞬く星の 視線を受けて
ひよわなさかな
わたしは
ひよわなさかなだろうか
こんなにいきていくことが
くるしいなんて
さかなはよわけりゃ
しぬだけさ
ぱくっとたべられたり
くさるまもなく
ながされたり
けど
さかなは
みずがわるいとか
みずがあわないとか
いってはいないと
おもうから
わたしは
ひよわなにんげんだろうか
それでも
だけども
だからか
ながらえているのだろうか
ひよわなさかなは
ほんとうに
いるだろうか
ひよわなにんげんは
ほんとうに
いきているだろうか
くだらぬこと
とおもうまもなく
はるがすぎて
じゅんばんに
なつがくるまえに
またごがつにゆきが
ふったらしい
あべこべすぎる
せかいにわらう
しきなど
さいしょから
なかったのかも
しれないね
なんきょくで
なんごくでつくられた
あいすを
しろくまのとなりで
たべたい
いみのわからぬゆめを
いまさらかなえたくなった
ひよわなさかなが
いるのなら
つよくならなくて
いいから
どうからくになってくれと
こころからねがいながら
「食べ」る
お兄ちゃんとケンカしたとき
アネモネの絵が、
上手にかけなかったとき
同じクラスのコから、
おじいちゃんを馬鹿にされたとき
仲間ハズレにきづいたとき
初めて詩が本に載ったとき
はじめて失恋したとき
無理やり入院させられたとき
留年したとき
大検に受かったとき
たいせつなたいせつな
命を葬ったとき
母を罵り、大喧嘩したとき
父を刺し殺そうとしたとき
結婚したかった恋人と
サヨナラしたとき
初めて赤ちゃんを生んだとき
離婚をきめたとき
運命の人にであったとき
運命の人を裏切ったとき
上司が突然亡くなったとき
自分のすべてをぶちまけて
それでも抱きしめてもらえたとき
二人目の赤ちゃんを生んだとき
友人に立て続けに裏切られたとき
無力感をふりはらい、
立ち上がろうとしたとき
私は泣きながら
涙とともに
食べてきた
パンではなかったけれど
自分を生かすために
結局どんな時も
食べてきた
浅ましく卑しく
けれど
確かにはっきりと
【生きるため】だけに
食べてきた
認めなくたって
揺るがない【食べる】を
繰り返し繰り返し
偉そうなこと言っても
言わなくても
つづきがある日々に
【食べ】続けて
今も過去も未来も
つないできた
食べる食べる
わたしはこれからも
食べる
今一度、
心から手を合わせ
いただきます
これからもずーっと
いただきます
ゴンドラの夜(詩)
月の垂らした灯りをゴンドラは継いで揺らす
川はあちこちで闇を水面から出して息継ぎをする
光がすうっと近づくと一斉に深々と潜り
遠のくとまた引き揚げ町を黒々と濡らす
※四行詩です。ここ数年はこんな感じの詩を書くのが気に入っています。二行目の無生物主語を使うだとか、四行目の「引き揚げ」という動詞に敢えて主語と目的語をつけずにちょっとした不安定感を出したりとか、全体的に静謐を感じさせたりとか、すべて現在形を用いてある種の緊迫感を出すとか、そんな詩です。自分で気に入っているだけで良し悪しは別っちゃ別なんですが。
マールボロ。
彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
飲みさしの
缶コーラ。
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水没都市。
教室が半分水につかっているのに、先生は黒板の端から端まで書いてる。ばかじゃないの。「ばかやろー」って叫んだ子がいる。どうせ街中、水びたしなんだけど、せめて学校でくらい、机のうえに立って、濡れないでいたいわね。
ごめんね。ハイル・ヒットラー!
幸せかい?
(ヘミングウェイ『エデンの園』第二部・7、沼澤洽治訳)
彼はなにげなくたずねた。
(サキ『七番目の若鶏』中村能三訳)
あと十分ある。
(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2』第Ⅱ部・20、厚木 淳訳)
なにかぼくにできることがあるかい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)
彼女は
(創世記四・一)
詩句を書いた。
(ハインツ・ピオンテク『詩作の実際』高本研一訳)
しばしばバスに乗ってその海へ行った。
(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)
魂の風景が
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)
思い出させる
(エゼキエル書二一・二三)
言葉でできている
(ボルヘス『砂の本』ウンドル、篠田一士訳)
海だった。
(ジュマーク・ハイウォーター『アンパオ』第二章、金原瑞人訳)
どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。
(ユーゴー『死刑囚最後の日』一、豊島与志雄訳)
ああ、海が見たい。
(リルケ『マルテの手記』大山定一訳)
いつかまた海を見にゆきたい。
(ノサック『弟』3、中野孝次訳、句点加筆)
どう?
(レイモンド・カーヴァー『ナイト・スクール』村上春樹訳)
うん?
(スタインベック『二十日鼠と人間』三、杉木 喬訳)
ああ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)
いい詩だよ、
(ミュリエル・スパーク『マンデルバウム・ゲイト』第Ⅰ部・4、小野寺 健訳)
それはもう
(マリア・ルイサ・ボンバル『樹』土岐恒二訳)
きみは
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)
引用が
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
得意だから。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
でも、
(フロベール『ボヴァリー夫人』第三部・八、杉 捷夫訳)
これは剽窃だよ。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』2、井上 勇訳)
引用!
(ボルヘス『砂の本』疲れた男のユートピア、篠田一士訳、感嘆符加筆)
まあ、
(サルトル『悪魔と神』第一幕・第二場・第四景、生島遼一訳)
どっちでもいいが、
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)
きみの引用しているその
(ディクスン・カー『絞首台の謎』7、井上一夫訳)
海は
(ゴットフリート・ベン『詩の問題性』内藤道雄訳)
どこにあるんだい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)
お黙り、ノータリン。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)
ヒトラーはひどく気を悪くした。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳、句点加筆)
彼は拳銃を抜きだし、発射した。
(ボルヘス『砂の本』アベリーノ・アレドンド、篠田一士訳)
ああ、
(ラリイ・ニーヴン『太陽系辺境空域』小隅 黎訳)
でも、ぼくは
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二の歌、栗田 勇訳)
いったいなんのために、こんなことを書きつけるんだろう?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)
相変らず海の思い出か。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
たしかに
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)
海だったのだ。
(モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)
ごめんね。ハイル・ヒットラー!
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
すれ違い
すれ違う時
見えない微風がいつもある
人はみな振り向くことなく
後ろ姿を私だけが見送った
春も往こうとしているのに
厚着になった私は
汗もかかずに歩いている
厚着のおかけで
風は寒くないけれど
厚着のせいで
いつも凍えている
真綿にくるんだつもりの心が
孤独の殻に入っていた
人込みを
上手にすり抜けるよりも
ぶつかってぶつかって
人らしく私らしくなるのにと
分かり始めてはいるけれど
今更怖くて薄着になれず
寂しさに震えている
夕焼けが足りない 1
自転車置き場で
空を見上げるのがいい
そこに風でも吹いてくれれば
なおいい
そんなとき
携帯電話の電池でも切れていて
何か大事なことや
大した事じゃないことや
君にとってはものすごいこととか
僕の中では手痛いことなんか
でも
聞きそびれたりなんかするのがいい
のに
イカはものすごいとこまでも使えるらしい
と制服の君が言う
イカのものすごいとこというのが
君にとってどこまですごいことなのか
よくよく聞けば
イカの耳も使うとか
そうか君にとってはそんなにすごいところでも
君の耳のほうがずっと感じる
なんてのは言えない
し
案外そうでもないのかもしれない
けれど
そういうことですごいことを望む
ましてや
イカの墨でソースを作ることや
その内臓で魚醤油が作られることなんか
知らなくてもいい
いい
もういい
体育館横の自転車置き場で
剣道部の練習の声が聞こえてくると
僕は
もう夕焼けを待っているように空を見上げ
商店街の方向へ歩き出す
魚屋の前ではきっと
夕焼けが足りないと
うつ向いてしまうのだろう
シャガ(射干)
少し湿ったね と
旧道沿いの
あしもとのほうから
梅雨のにおい と
祖父のにおいがした
ふりかえると
あたり一面にシャガの花
思い出すひとがいるから
咲くのだろう
もう一度ふりかえると
祖父の家
明日から空家となる
(notonokoto-7)
***********
おまけ
https://suno.com/s/piNl6GOLlWZ8Fg1U
天使の足跡
ある日突然、“天使”だと名乗る小人が僕の目の前に現れた。
「あたしは天使よ。あたしのことは“チコちゃん”て呼びなさい」
そう言って偉そうに踏ん反り返ったのは、五センチ程の小さな小人。確かにその背中には天使らしき小さな羽が生えている。
「あの……天使さん? とりあえ──」
「だから“チコちゃん”よ!」
「痛っ、……いたたたた! 痛いですって!」
僕の言葉を遮るようにして怒った天使は、手に持った杖のようなものでポカスカと僕の頭を殴りつける。
これでも本当に天使だというのだろうか? いきなり人を殴りつけるとは乱暴者にもほどがある。
「ご……ごめんなさい、チコちゃん! やめて下さい! 本当に痛いですってば!」
「ふんっ。ちゃんとチコちゃんて呼ばないあんたが悪いのよ、このちんちくりん!」
そう言って腕組みをしながら踏ん反り返った天使。随分と口も悪いようだ。
「あんたの為にわざわざ来てやったのよ。感謝しなさい」
「別に僕は頼んでませんが……」
「まあ! なんて生意気なの!」
再び杖を振り上げる素振りを見せた天使を見て、慌てた僕は頭を隠しながら大きな声を上げた。
「ごっ、ごめんなさい! とりあえず後にしてくれませんか!? 今はちょっと……っ!」
「なによ、せっかく来てやったっていうのに。あたしに不満でもあるって言うの?」
「っ、……今お風呂中なの見て分かりますよね!? 今すぐ出て行って下さい! お願いします……!」
こうして突如として始まった天使との奇妙な同居生活。事あるごとに僕に干渉する“チコちゃん”と名乗るその天使は、口も悪く乱暴者だったが、意外にもその存在はとても居心地のいいものだった。
「はやく起きなさい、このねぼすけ!」
「痛……っ、いたたた! 痛いです、チコちゃん!」
「早く起きないと学校に遅刻しちゃうでしょ!」
「まだ三十分は寝れますよ……」
「また朝食を食べない気ね!? そんなんだからちんちくりんなのよ!」
「いや……僕そんなに小さくないですよ。それにチコちゃんの方がよっぽど小さ──」
「まあ! なんて生意気なねぼすけなの!」
「痛っ! いたた……っ、痛い、痛いです! ごめんなさい! 今すぐ起きるから許して下さい!」
こうして頭をポカスカと殴られながら起きるも、三日程前からの恒例になりつつある。頭の痛みさえ除けば、こうして賑やかな朝を迎えるというのも悪くはない。
祖母が入院してからというもの、祖母と二人暮らしだったこの家は随分と静かになってしまった。そんな時に突然現れた天使は、僕の沈んだ心を明るく照らしてくれるのに充分な存在だった。
「人参も残さず食べなさいよ」
「苦手なんですよ、人参……」
「だならちんちくりんなのよ!」
そんな小言を言いながらも、甲斐甲斐しく僕の為に朝食を用意してくれる天使。こんなに小さな身体だというのに、一体どこにそんな力があるのだろか?
そんなことを思いながら、両手一杯に食器を持ってフワフワと浮かんでいる天使を見つめる。
「さっさと食べなさい。遅刻するわよ!」
「はい、いただきます」
急かされるようにして朝食を済ませた僕は、天使が用意してくれたお弁当を持って学校へと向かう。
「あんたもいい加減料理の一つでも覚えたらどうなの」
「僕には無理ですよ」
「甘ったれてんじゃないわよ。もう十七でしょ」
「先月十八になりました」
「ふんっ。それにしてはちんちくりんね」
「僕そんなに小さい方じゃないんですが……」
そんなやり取りをしながら登校するのも、ここ最近の恒例である。
「おはよう、早水くん!」
「あっ。……お、おはよう、高坂さん」
笑顔で駆けてゆく高坂さんに挨拶を返すと、それを見ていた天使がすかさず口を挟む。
「何よその小さな声は! もっとシャキッとしなさい、シャキッと! あの子のことが好きなんでしょ? そんなんじゃ仲良くなれないわよ!」
「痛……っ! いたたた! 痛いですってば!」
「シャキッとしなさい、シャキッと!」
「わかりました、ちゃんとします! わかりましたから……っ!」
ポカスカと僕の頭を殴りつける天使をどうにか宥めると、叩かれた頭に手をやりスリスリと撫でる。
この乱暴さはどうにかならないものなのだろうか。いくら身体が小さいとはいえ、何度も殴りつけられれば地味に痛い。
(まあ……ばあちゃんのゲンコツに比べたらだいぶマシだけど)
最後にゲンコツをくらったのはいつだったかと、そんな昔を懐かしく思う。
「こらっ! 何ボーッとしてるの! 早く学校行きなさい!」
「……あ、はい」
どうやら感傷に浸っている暇もないらしい。
そんな天使との同居生活も一週間が過ぎた頃。
僕が一人でゆっくりと湯船に浸かっていると、ノックもなしにいきなり乱暴に扉を開いて現れた天使。僕の顔を見るや否や、そのままの勢いで一気に捲し立てる。
「ちょっと! これは一体どういうこと!? あんた大学に行きたいんじゃなかったの!? なんで就職希望なんて書いてるの!!」
そう言いながら僕の顔にペシッと貼り付けたのは、僕の字で書かれた進路希望用紙だった。
「っ……ちょ! 今お風呂中なんですよ!? 後にしてくれませんか!?」
「あんたの裸なんてどうでもいいのよ! それよりこれは何なの!? 説明しなさい!!」
「ま、待って下さい! 今出ますから待って! ……痛っ! いたたたた!」
急かされるようにしてポカスカと頭を殴られた僕は、慌ててお風呂から上がるとリビングへと移動する。
「で!? どういうことなの!? あんた大学に行きたいんじゃなかったの!?」
「うちにはそんなお金はないんですよ」
「お金ならあるでしょ!? 行きたいなら大学行きなさい!」
「天使のチコちゃんには分かりませんよ。そんな簡単に用意できる金額じゃないんです」
親の遺産がまだ少し残っているとはいえ、それも普通に暮らしているだけで二十歳になる頃には底を尽きてしまう。そんな経済状況の中で、大学まで進学するなんてことは不可能だ。
この先祖母の入院費だってまだまだかかるだろうし、それらのことを踏まえると進学せずに就職するのが一番現実的なのだ。
「お金ならあるでしょ!」
「……だから無いんですってば!」
行けるものなら僕だって大学に進学したい。夢だって人並みにある。でも──。
「お金がないから諦めるしかないじゃないか……っ! うちにはそんな余裕はないんだよ!」
悔しさに涙を流すと、そんな僕の頭目がけて杖を振り下ろした天使。
────ポコッ!
「…………痛いです」
「バカだね、あんたは。お金ならあるって言ってるでしょ」
「……どこにあるっていうんですか」
そんな僕の言葉を受けてフワリとタンスへと近付いた天使は、上から二番目の棚を指差すと口を開いた。
「ここよ。開けてみなさい」
言われた通りにその棚を開くと、中に入っていたのは僕名義の見慣れない通帳だった。中を開いて見てみると、そこには預金額五百万の文字が。遡って入金履歴を見てみると、それは十三年前からコツコツと入金されてきたものだった。
十三年前といえば、ちょうど僕が祖母に引き取られた頃。きっとこれは、そんな祖母が僕の為に日々の節約から浮かせたお金を貯めてきてくれたものに違いない。
「ばあちゃん……」
「だからお金ならあるって言ったでしょ」
「いや……これは使えません」
「どうして?」
「これはきっと祖母が僕の為に十三年間貯めてきてくれたお金なんです。そんな大切なお金……僕には使えません」
「あんたの為のお金ならあんたが使えばいいのよ。このお金があれば大学にも行けるでしょ?」
確かに五百万もあれば余裕で大学進学は可能だろう。ただ、それも普通に暮らしていたらの話だ。
祖母が入院している今、いつどこで大金が必要になるとも分からない。
「確かに大学には行けますけど……でも、やっぱりこのお金には手を付けたくないんです」
「どうしてよ! 大学に行きたいんじゃないの!?」
「大学には行きたいですよ……でも節約しないと」
「だからって就職するの? お金なら心配ないって言ってるのに!」
「もういいんです、ありがとうございます」
それだけ告げて通帳を元の場所へと戻すと、僕はそのまま静かにリビングを後にした。
◆◆◆
それからというもの、天使はすっかりと大人しく──なるわけもなく、今日も元気に杖を振り回している。
「ちょっと! 手は“猫の手”って言ってるでしょ! また指切ったらどうするの、ちんちくりん!」
「……痛っ! いたたた! 痛いですってば、チコちゃん!」
こうしてポカスカと頭を殴られながら料理をするのも、もう二週間程になる。当初はまともに包丁さえ扱えなかった僕も、今ではどうにか形になってきた。
口が悪くて乱暴者な天使にも今ではだいぶ慣れてきた。とはいえ、やっぱり痛いものは痛い。
「ちゃんとしなさい! 今日は高坂さんと一緒にお弁当食べる日でしょ! あんたの血だらけのお弁当なんて誰も見たくないのよ!」
「ちゃんとします! ちゃんとしますから殴らないで下さい……!」
天使の助言のおかげで、今では友達と呼べる程の関係になった高坂さん。僕の為に現れたという天使の言葉は嘘ではなかったらしい。
それは何も高坂さんに関することだけではなく、こうして自炊するということを学べたのも天使のおかげだった。不思議なもので、自炊するようになってからというもの、随分と食べ物の好き嫌いが減ったように思う。
とりわけて変化があったことといえば、高校卒業後の進路についてだった。それまで就職することしか考えていなかった僕に、天使は大学へ進学するようにとしつこく薦めた。
久しくしていなかった受験勉強とやらも、最近では毎晩のように励んでいる。勿論、このまま大学に進学することを決めたわけではなかった。ただ、そんな選択肢が残されていてもいいのではないかと、そんな風に思えるようになったのだ。
──そんなある日の晩。
いつものように深夜遅くまで受験勉強をしていた僕は、喉でも潤そうとリビングへと向かった。その途中、漏れ出る薄明かりに気付いた僕は、祖母の部屋の前でピタリと足を止めると室内を覗いてみた。
「……チコちゃん? こんなところで何してるんですか?」
僕の声にゆっくりと振り返った天使は、部屋の真ん中に置かれたテーブルにちょこんと座りながら笑みを溢した。
「強く生きなさい、ちんちくりん」
「チコちゃん……?」
何だかいつもと様子の違う天使を前に、妙な胸騒ぎを覚えた僕は部屋の中へと一歩足を踏み入れた──その時。静まり返った家の中で一本の電話の音が鳴り響いた。
────プルルルル────プルルルル
嫌な予感がした僕はすぐさま受話器を取りに行くと、そこで告げられた言葉に耳を疑いながら自宅を飛び出した。
(ばあちゃん……、ばあちゃん……っ!)
病院へと駆け付けると、そこには静かに横たわる祖母の姿があった。
両親を早くに亡くした僕は、まだ小学校に上がる前から祖母との二人暮らしを始めた。そんな祖母はいわゆる肝っ玉ばあちゃんというやつで、まだ元気だった頃にはゲンコツをお見舞いされることも少なくはなかった。
『強く生きなさい』
そんな祖母が口癖のようによく言っていたのを、今でも鮮明に覚えている。
一年程前から寝たきり状態になってしまった祖母は、心臓こそ動いてはいたものの、最近では意識を取り戻すことさえなくなっていた。それでも、僕は回復することを信じて毎日のように病室に顔を出していた。
それは今日も同じだった。たったの数時間程前に祖母の姿を見たばかりだというのに、今、目の前にいる祖母の姿は先程見た時とは随分と違って見える。
「ばあちゃん……っ!」
痩せ細った祖母の身体にしがみつくと、僕はまだ温もりの残った肌を感じて涙を流した。
「北野マチコさん。午前一時四十六分、ご臨終です」
「裕也……。ばあちゃんは苦しまずに逝けたそうだよ」
そんな医者と叔父の声を聞きながら、僕はひたすら涙を流し続けた。
*
それから四日程が過ぎた頃。お通夜と葬儀を終えた僕は、一人静かな家の中を彷徨い歩いていた。
「……チコちゃん? どこにいるんですか?」
忙しさで気に留める暇もなかったとはいえ、ここ四日程天使の姿を全く見ていなかったのだ。一向に見つからないその姿に、怒ってしまったのだろうかと不安になる。
確か最後に見かけたのは祖母の部屋だった。それを思い出した僕は、急いで祖母の部屋へと向かうと勢いよく扉を開いた。
「……チコちゃん!?」
焦りと期待の混じった声音は誰も居ない部屋の中で虚しく響き渡り、ここにも天使は居なかったかとガックリと肩を落とす。
そんな僕の目に留まったのは、テーブルの上にポツンと置かれた一冊のアルバム。あの時天使が見ていたものはこれだったのかと、僕はゆっくりとテーブルまで近付くと腰を下ろした。
「ばあちゃんのアルバムか……」
そこには若かりし頃の祖父と祖母の姿があり、初めて目にするその写真を前に僕は涙を流した。
最期はあんなに痩せ細ってしまった祖母だったけど、当然ながら昔はこんなに元気だった頃もあったのだ。そう思うと何故だか涙が止まらなかった。
天使の“チコちゃん”とよく似た面差しの若い頃の祖母の姿。その写真を眺めながら、もう二度と天使に会うことはできないのだと静かに悟った。
「……ばあちゃん」
パラリと捲ったページにピタリと手を止めると、幸せそうに微笑んでいる祖母の姿をそっと指でなぞる。その瞬間、まるで走馬灯のように一気に蘇ってきた祖母と過ごしてきた十三年間という月日。
決して優しいばかりではなかったものの、いつだってその言動には僕への愛情が詰まっていた。
「ばあちゃん……っ、ありがとう。大好きだよ……」
最後にその姿を見かけたあの日。とても愛おしそうな表情を浮かべながら、テーブルに置かれた何かを眺めていた“天使のチコちゃん”。そんなチコちゃんの横顔を思い浮かべる。
あの時見ていたものは、おそらくこの写真だったのだろう。そう思うと、堪らず声を詰まらせた僕は嗚咽した。
【ちんちくりんの裕也】
そんなタイトルと共に大切そうに貼り付けられた一枚の写真。その写真に写っているのは、この家に引き取られたばかりの僕が祖母に抱かれて嬉しそうに笑っている姿。
そのすぐ横には、とても小さな足跡がクッキリと残っていた。
─完─
https://i.postimg.cc/7ZR9LKHx/8-F065-BA0-A9-E4-4-B74-98-BA-84627-DE90-A05.jpg
【はじめての】h2Oさんの『祈り』を推薦してみたいと思います【推薦文】
推薦対象
祈り(「羽」改題)
by h2O
まず、気づいたらActive Writerになっていた。日々感想を書きながら「よくわからないけどそのうちアクティブライターになるだろう」という気持ちと「よくわからないけど期間終了までビジティングライターのままなのでは」という気持ちがあり、まあどのみち推薦できないんだからできないあいだに推薦のスタンスについて考えておこっと☆ と思った翌日、Active Writerになっていた。
わたしが日々感想を書いていたのは自作投稿の時間が取れないかわりのクリエイティブな日課であって他に目的などないはずだったし、コンスタントな発信は苦手だから感想のようなちっぽけなものでもモチベの維持はそれなりに気合いが要った。数日寝かせたら最後なのでかならずその場で書き始めて書き終わることにした。だから、わたしの書く感想というのは誇張なく書き散らしたものだ。そのとき思ったことのメモ以上でも以下でもない。
推薦文を書けるとなったとき、感想と分ける以上は感想とはまたちがった趣向であったりなんだりがあるべきだろうと思ったし、それをできるならもちろんそうしたいと思った。でも感想以上のことをできる気はしなかった。月末までうんうんと悩んでしまったけれど、よい計画は浮かばなかったし、せっかく月末という定期的な区切りを設けてくださったのだから、わけがわからないながらもとりあえず出してみたほうがいいような気がして、それで、こうなりました。
以前書かせていただいた感想の続きのようなかたちになっています。雑です。本当に雑ですが、作品の価値に免じて許してください。
『祈り』という作品を初めて読んだとき、ゆたかな質感にも感動したけれど、「感覚的な表現を特徴とする作品だ」という印象はそんなに強くなかったように思う。全体的にバランスがとれている。ひとの暮らしのなかに息づく生々しさと「生々しすぎなさ」が両方あって、でもその生々しすぎなさというのもポピュリズム的に漂白されたアプローチではない。あくまで扱う題材や着眼点に生々しさがものすごく必要なわけではなかったから、生活する姿をそのまま映したらこのくらいの濃度になったよ、みたいな。だから作中で実家が登場したとき、わたし自身の祖母宅に行ったような気持ちと、よそのお宅に上がらせてもらった気持ちが半々あった。そこだけでなく、読んでいるあいだずっと、自分ごととして感情移入する感覚と知らない誰かを気遣いながら接している感覚が同居していて、わたしはたぶん必要以上に主観的に読みがちなタイプの人間であるから、こうした落ちついた読書体験というのは作者がわたしに対して用意してくださったもののように感じた。
その後けっこう時間がたって、最近投稿された「夏の唾液」も拝読した際、そういえば『祈り』とおなじ作者さんだと気づいた。そのときにあらためて思ったのは、水分に纏わる描写、水分と身体との関係性を表現するような描写に、こだわりやひろがりのようなものを強く感じるということだ。
ここでいうひろがりとは、感覚的な表現によって読み手自身の感覚にも火がつき、独り歩き(というとマイナスな響きにきこえるかもしれないが)や自立的な(主観的で自由な)鑑賞体験を誘発する…みたいな、そういう印象をもちました、という意味です。
h2Oさんというお名前も、そうしてふりかえると(気体なので)なんだか水分から連想されるお名前のような気がしなくもない。ぜんぜん関係ないかもしれないけど。というか、あたりまえだけれども身の回りのあらゆるものに大概水分は含まれているので、これらの作品を読んでからふと息をついて周囲を見まわすと、生活のなかのあらゆるものがh2Oさんの作品から連続しているような、そのまま地続きに世界がひろがっていくような気持ちになる。ちょっと。
わたし自身も水分や湿度、乾きなどの質感を表現するのは好きで、そういう表現を好んで扱っていると、なんとはなしに「日本人だからしっとりした描写が得意なんだね」というふうに言われることが時折ある。あまりその手のカテゴライズを性急にすべきではないというか、そもそも表現にせよ行為にせよ理由や結論づけがそう容易にあってはならないように思うし、実際自分の場合はそことそこ(好みとルーツ)のつながりに対して懐疑的に考えているのだけれど、h2Oさんのそれを目撃したときに、そうした言語化の完成度について具体的な理由みたいなものを求めたくなる気持ちは、まあちょっとわからなくもないかもしれない。すくなくともこの作品(『祈り』)を単体で読んだとき、わたしはこの作品しか読んでいなかったから、この作品の世界観にあわせて湿度の描写が行われたようにも思えた。『夏の唾液』を読んで、たぶんかならずしもそうではないのだろうと思い直した。あと『夏の唾液』も夏のお話だけどすごく寒さを感じたような印象が残っている。
正月くんとサンタの師走
しわす、しわす、しわす、しわす
目を わざわざこらさなくても、
やかんの湯気は羽衣のように くっきりとしておりました。
こんなに寒い朝でもなければ、
だるまストーヴで湯をわかし、こたつに脚をつっこんで、
腰から上と腰から下でまるで温度がちがうこと、
けだるい気持ちがしたかもしれない。
けれども空はまっさおで、えんえん高いところまで、つきぬけるほど冬でした。
それでいて初雪はまだでした。
初雪 という言葉が似つかわしくない、雪のすくない乾いた町で、
正月くんは今朝も、あいつと落ち葉を掃いたのです。
ですから、みかんの皮をやぶく指は どんなにしてもかじかんで、
ずいぶんつめたいみかんより、もっとつめたいままでした。
みかんの匂いは、仕事おわりの赤い鼻をつんと刺して、
いたずらなこどものように部屋のそとへと出てゆきました。
いれかわりに戸口から、竹箒をしまいおえて、もどるあいつの音がします。
ウィーウィッシュユアメリークリスマス、アンドハッピーニューイヤアアアア
サンタクロースは靴を履き その靴の下に雑巾を敷き
板張りの縁側をさっそうと滑走した!
西東京のしょぼい神社に綿入れ半纏の似あうサンタがいたら
驚かれるかもしれないが、
神主さんが常駐していないのでばれたことはない。
なにしろクリスマスと正月は一週間と離れていないが、
三が日まで泊まっていくわけではないからだ。
「としまえん、閉じたらしいよ」
正月くんが放ったみかんを、サンタはみごとにキャッチしました。
けれど皮をむいたときには、
宝石のようなみかんはほんとうの石のように硬く透きとおり、
ひとふさごとにサンタの手からこぼれたと思うと、
からからからんと愛らしく縁側にちらばりました。
しわす、しわす と やかんが鳴きます。
「ははあ、オレンジ・キャンディだ」
「ちがいないね」
正月くんはひるまずわらいました。
あれはたしかにみかんでしたが、それは実質キャンディでした。
さして珍しいことではないのです。
「カルーセル・エルドラドなら、いまも変わらず走っているさ。
心配にはおよばないよ」
動く歩道 とは、回転木馬と名がつく前の 回転木馬のなまえであり、
あらゆる季節の祭りたちが その背をかりて移動する。
台座はあまたの地平線
蒸気を食べて走る馬が、一年の月日をかけて回転していたのであります。
ですから正月くんにとって、師走に走るは坊主といえど、
およそ他人事とは思えぬ字面でした。
ウィーウィッシュユアメリークリスマス アンドハッピーニューイヤー、
アンド っていうのは、となり ではなくて、そして ということ。
この手が届くことのない、前後の席に座ること。
僕がクリスマスカードを書くから 年賀状を書きたまえ。
いやちがうわ僕はやはり年賀状を書くからクリスマスカードを書きたまえ。
なにも悪いことじゃない。これは他人。それが他人だ。
ひあたりのよい冬の、しずけさといったらゆかいでした。
風の子は行儀よくそこらを行ったり来たりしました。
枯れ枝を折るパキッという音が どれほど遠くから聞こえているのか、
誰にもわかりませんでした。
けれども空はまっさおで、えんえん高いところまで、つきぬけるほど冬でした。
しわす、しわす と 蒸気が昇る。
正月くんはそのこえを、
海のむこうで、わたしとあなたで、トロットワール・ルーランで、
そうしたあらゆる境界線上で、
撃鉄が上がる音を聞くように、神妙な面持ちで聞きました。
終わらないカルーセルがもうすぐ君をむかえにくる。
そして サンタは國へかえるだろう。ひとつきもすればね。
「おもち、焼こっか」
川
川のそばを歩くべきだ
日はまたすこし
知らないうちに短くなった
夕立ちが
ここではないどこか
わたしではないだれかに
話しかける
あさのむこうに
不揃いの扇
いさかいをあえてみだす力
夜は昼にも残っている
遮光布を手でゆらす
そうしてひとつだけのこった
かわいてもおらずしめったもの
潜水艦《どんがめ》 ーー 一人芝居用戯曲 ーー
潜水艦《どんがめ》 ―― 一人芝居用戯曲 ――
笛地静恵
浸水している。船体が軋んでいる。すでに潜水深度を、はるかに越えている。潜水艦《どんがめ》は、俺のあらゆる命令を拒否した。海溝へ、急速に潜航していく。ダイオウイカを追っている。
俺は動かない操縦かんを、それでも必死に握りしめた。浮上だ。浮上しなければ。唇を強く噛んだ。どうすればよいか。
軍事秘密を厳守するために、地上との交信は一切、遮断されている。自分が決めるしかない。脱出装置か、逃げても、軍法会議で、銃殺だ。責任は免れない。いっそのこと、一瞬で楽になるか。自爆装置へ指を伸ばした。止めた。いや、待て。まだ何か。こいつに対して。できることが。あるはずだ。
《どんがめ》は。人工人格(AC=アーティフィシャル・キャラクター)を搭載した、わが国で初めての潜水艦だ。人間が乗っていなくとも、あらかじめ立てられた計画に従って、軍事作戦を遂行できる。
その個性には、俺の人格の相当部分が、転写されている。俺は、息子のように《どんがめ》を鍛えてきたつもりだ。こいつは、海綿のように。俺の知識と経験を吸収していった。
実験は順調に進展していた。命のやり取りをする戦場と比較すれば、平穏で楽な仕事だ。物足りないぐらいだ。
歯車が狂ったのは、三日前に、ダイオウイカに出会ってからだ。
俺は《どんがめ》の外部センサーによる感覚器官と、同調している。自分が、深海の水圧に抗して、楽々と泳いでいるように感じられた。赤外線アイや、ソナー・イヤーの音波による探査は、人間に理解できる視聴覚の情報に。即座に翻訳されている。暗黒の海は、青一色だった。
視野の端に、不意に明るい光がともった。青い薔薇が咲いたようだった。美しい生き物だ。青から紫の光を身にまとっている。一刻も同じ色がない。千変万化する。若い王女様の豪奢な舞踏。〈海の王女様〉。そう名付けた。
黒い大きな瞳は、神秘をたたえている。八本の触手は、顔の前に、つつましい手の指のように置かれている。優美に。しなやかに。踊る。ここは、彼女の世界なのだ。たちまち、深海に消えていった。
それ以来、《どんがめ》の気持ちが、おちつかなくなった。どうしてよいのかわからない。機械の心臓が、どきどきと鼓動している。初恋である。
かわいそうに。《どんがめ》は、自分の醜さを恥じていた。それまでの彼は、自信に満ち溢れていた。超合金。黒い三角形。扁平な船体。下面左右の鰓穴から、海水を取り入れる。背後に噴射して推進する。
深海の強大な水圧を、やすやすと切り裂く。高速航行中だ。腹面の魚雷発射管は、雷撃の威力を秘めているが、今は、慎ましく閉じられている。
背中ミサイルには、本物の核弾頭が、極秘裏に搭載されている。一国を破滅に導く戦闘能力があった。
しかし、〈海の女王〉という、本来のこの世界の住人と比較すると。アーティフィシャル・キャラクターは、自信喪失に陥ってしまった。彼は、この世界にやってきた、異邦人にすぎない。彼女と比較すれば。動きは遅く鈍重だった。醜く黒い外骨格の鎧を、脱ぐことすらできない。陸上という生まれを悔やんでいる。
それからの《どんがめ》は、全力でダイオウイカを探した。〈海の王女〉に出会える最後の機会だ。わかっている。もうすぐ、実験航海が、終わるのだ。《どんがめ》は実戦に配備される。最前線の東中国海である。平和な海溝に戻ってくることは、もう二度とないだろう。
ああ、そうか。これか。とうとう見つけたぞ。これか。俺自身が、封印していた記憶か。それが、《どんがめ》との同調で、猛烈によみがえった。
彼は若き海軍士官だった。優秀な成績をおさめた、王女様から、直々に勲章を授けられることになった。得意の絶頂にあった。王女様の美しいお顔は、御真影で何度も拝んでいた。憧れの人だった。しかし、パーティで出会った美しい貴族の少女は、それが日程に組まれているから、儀式に参加しただけだった。すでに、退屈されていた。勲章を俺に授与したあとでは、即座に武骨な軍人の存在を、完全に黙殺した。見もしなかった。貴族と平民とでは、しょせん住む世界が違う。
彼は、単なる、汗臭い、ひとりの、海の、男にすぎなかった。自分の平安のために、命を捨てるがよい。便利な道具。それに過ぎなかった。冷たい瞳が、すべてをもの語っていた。屈辱感と憎悪が蘇った。
ダイオウイカにも、自分が追われていることが、わかっていた。一直線に、自分の世界へ潜っていく。《どんがめ》は傷ついていた。ACには、自己の限界を、越えようとしていることは、わかっている。超合金の船体が、悲鳴を上げている。浸水している。それでも、止めない。
そうか。それなら。行け。行けるところまで。
俺は、操縦棹から手を放した。
目を覚ました。太陽と、風と、光を、顔に感じた。海面を漂流していた。《どんがめ》が、最後の瞬間に、脱出装置を起動したのだ。助けてくれた。
俺のことなど、気にする必要は、なかったのだ。ともに海に消えるつもりだった。
この実験の失敗により、俺は、軍法会議で有罪となった。死刑を宣告された。膨大な国家予算をつぎ込んだ兵器を。深海に捨ててきてしまった、ことになるからだ。
独房で夢を見た。《どんがめ》が、海底の洞窟で〈海の王女〉と暮らしている。小さな子どもがいる。俺が手に入れられなかったものだ。牢獄の窓の鉄棒を掴んだ。しっかりやれよ。深海の息子を遥かに励ました。牢獄の窓の外は、海青色の夕暮れだ。白雲が、自由に戯れている。
爆発音がした。ミサイルか。攻撃だ。海上に、潜水艦が浮上した。《どんがめ》だった。俺を救助に来たのだ。馬鹿なやつだ。全軍を、敵に回すつもりか。それなら、いっしょに、やってやろうじゃないか。
俺は、《どんがめ》の操縦かんを、再び、握りしめた。戦闘開始だ。全能力を解放した。
(了)
【ノート】
対象:男声
本文文字数:2348文字
上演時間:15分程度
上演許可不要、改変自由
鯨町
この旅行は幻ではなかった。
旅行というものはいつも幻のような気がしている。
鯨町という鯨だらけの町があるらしい。
私はすこぶる鯨が好きであり、私にとって夢の国なのである。であるから鯨だらけの町を幻視したのであろうか。いや、確実に鯨だらけの町があった。今、手元に、鯨町の民芸品店で買った陶器の鯨の置物があるのであるから。私はその鯨の置物を一撫でした。すると鯨の鼻孔から潮吹きの如く煙が立ち昇った。龍涎香の薫りが部屋に充満した。
私の記憶が確かなのか分からない。この鯨の置物だけが細い糸の切れそうな記憶を僅かばかり繋ぎ止めている。それ程までに、あれ程までの町を埋め尽くす鯨まみれは非現実的であり、本当に鯨町にいったのか訝しくなってしまう。
私には現実感というものがいつもない。すべてが幻のような気がしている。日常でさえ現実感がない。であるならば鯨町など一層現実感などないのではないか。いや、非現実的な程、むしろ現実感があるのかもしれない。私のこの感覚は精神分析的に把握してはいない。精神科医に分析して貰ったらなにか分かるのかもしれない。しかし私は精神分析されたくはない。この感覚は私にとって当たり前なのである。
鯨町へは一人でいってはいない。妻と妻の両親の四人でいった。全員が鯨町にいったのである。みながみな見たのである。集団幻覚でもないはずである。確実に町に鯨が溢れていた。
和歌山県の奥深い地方に鯨博物館があるらしいと聞き、元々私は鯨が好きだったため興味を持ち調べた。丁度その辺りに職場の保養所があると知り一泊二日で旅行することに決めた。妻のお父さんに車を運転して貰い四時間程かかった。奥深いところなのでとても緑が綺麗だった。空も青く海も青かった。
お父さんの車で道を走っていると、急に明らかに鯨に関する看板だとか文字だとかが、異空間に入り込んだかのように増えはじめた。やはりこの辺りは鯨町であるから鯨の絵や鯨料理の店などがところどころにあるようだ。私は鯨料理というものを食べたことがなく、鯨を食べるだなんてと思っていたが、昔はふつうに食べていたらしい。今でも食べるところはある。
「鯨肉って食べたことありますか?」
「よく食ってたよ。昔は豚肉よりも食べてたな。ベーコンみたいだけど、やっぱり違って、鯨独特の肉で旨いよ」
「そうなんですかあ。僕は鯨を食べるなんて考えられませんね。なんかかわいそうで」
「昔は沢山鯨が捕れたからね」
「鯨を捕るって、捕鯨って、なんか凄過ぎて考えられません」
捕鯨船で大海へ出、荒波に揉まれながら、銛で巨大な鯨を捕らえるというイメージ。実際はどういうものなのかは知らない。とてつもなく勇敢な海のバトルなのかな。メルヴィルの『白鯨』という本があるが、いつか読んでみたい。鯨好きとして読まなければならないという使命感さえ感じている。
「この辺に古本屋あるよ」と妻がいった。
妻は旅行にゆくとき事前に古本屋がないかよく調べる。私が無類の古本好きであるので、妻も本は好きな方だが、私の影響もあってか、旅先でもつい古本屋さんに立ち寄ってしまう。
「こんな山奥に古本屋があるのか?」お父さんが訝しんでいる。
私はグーグルマップを開き妻に古本屋の名前を訊き検索する。「鯨書房」。古本屋まで鯨なのか。グーグルマップを頼りにお父さんに運転して貰うと、こんな道ゆくのかよとぼやかれながら連れていって貰う。
人気がなく細くこんなところ車が通るかというような道をゆく。どんどん奥深いところへ入ってゆき、ここはどこだという記憶喪失めいた感覚さえあった。グーグルマップが目的地を示すがそれらしき建物がない。どこにあるのだとみな訝っていたが、グーグルマップをよく見ると山の内部の方を示しており、車は通れない道であった。車をいったん路傍へ止め、お父さんに待っていて貰い、私と妻とお母さんの三人で山道を登り鯨書房を目指すことにした。
「こんなとこに本当にあるの?大丈夫?」とお母さんがいった。
「本当に進むの?」と妻が不安そうにしている。
まあいってみましょう、と私はずんずん歩いてゆく。妻とお母さんは不安な様子を見せながらもついてくる。
そんなに歩かずして、古民家のような建物が見えたが、あれが古本屋なのか、いやふつうの家ではないのかと訝しみながらも覗いてみると、「鯨書房」と達筆に筆で書いたような文字の看板が現れ、ここだ、よかったと三人は安堵した。
引き戸をがらがらと開けると、古民家を改装した趣のある異空間な古本屋が広がっていた。灯は薄暗くインド音楽のような音が鳴っていて、木の薫りがした。ほんのり珈琲の薫りもした。茶色い木でほとんどできており、床が軋んだ。
四匹の猫が微動だにせずお出迎えしてくれた。白、黒、灰、茶の四匹の猫だ。若い女性店員に猫の名前を訊くと四匹ともたまだという。四匹のたまである。四匹のたまはまったく人を怖れておらず、人懐っこくもなく、ただ定位置といわんばかりにそこに佇んでいる。
「鯨書房」はその店名通り鯨の本が豊富に揃っている古本屋であった。もちろんメルヴィルの『白鯨』はあった。私は運命的な出会いだと感じこの本を購入するためにレジにゆくと、熊のような男性店員に声をかけられ、「珈琲でも呑んでゆきませんか?」と誘われた。
妻とお母さんは離れたところで本棚を喋りながら見ていたが、折角なので私は珈琲をいただくことにした。こちらですと奥の方のスペースについてゆくと、数人の人々が珈琲を呑んでいる。この中に珈琲を作っている方がいて、本日の珈琲を淹れてくれる。様々なマグカップがあり、どれがいいですかと訊かれ、ガラスのマグカップを選ぶと、珍しいですねと、ガラスのマグカップの珍しさを力説された。
旨いですねえ、などといっていたが、特に話すこともなく沈黙が流れいづらかったので早々に辞去した。みなさんやさしい人たちで、また呑みにきてくださいねなどといっていた。
私はまだ本を購入してないことに気づき、レジの若い女性店員に『白鯨』を渡すと、この本凄いですよといって、鯨書房オリジナルのカバーをかけてくれた。鯨の絵のついたカバーで、カバーマニアである私は大変嬉しかった。鯨もカバーも好きなので、最高のカバーだった。
驚くことにペイペイが使え、ペイペイで払おうとするも山奥なので電波が悪く、すみません外に出たら繋がりますのでといって外でバーコードを読み取りペイペイと鳴って支払いが完了された。なぜ電波が悪いのにペイペイ決済を導入しているのかは分からなかった。
本を購入した後はいつもほくほくしているので、大変あたたかい気持ちになった。妻もよさげな本を見つけることができ上機嫌であった。鯨の絵本の洋書であった。なかなかに珍しかった。私たち夫婦は鯨のものに目がなく、鯨のものを見つけては購入してしまう癖があった。
「好きな動物はなんですか?」
「鯨です」
「私も鯨好きです。なんで好きなんですか?」
「でかいからです」
付き合いたての頃、こんな会話をしていたのを思い出した。
「鯨書房」を出るとすっかり辺りは夜の海のように深い暗青色が広がっていた。山道の深緑も相まって青緑青緑していた。山なのに海を感じた。なにか懐かしさを覚えた。
僅かばかりの山道を下るとお父さんが車で眠って待っていた。さぞ待ちくたびれたようで、夢でも見ていたに違いない。
「お待たせしました」と声をかけると、お父さんは深い眠りから覚めたように、「待ちくたびれたよ」といった。どこかの遠い大海で鯨が潮を吹いたような気がした。
暗くなってきてしまったので早く保養所へゆかなければならない。チェックインの時刻はとうに過ぎている。
保養所は少し古びたホテルだったが、昔はいいホテルだったんだろうと思われ、今はレトロな感じで味があった。山の上に建てられ、段々畑のように部屋が連なっていた。広々とした空間で窓からは空港が見え飛行機が飛んでゆく様子が見れた。空は深海のような暗青色をしている。飛行機の光が黄色く輝いて星のようで映える。飛行機はどこまでも飛んでゆくような気がした。
私たちはホテルに着くや否やベッドへダイブし眠ってしまった。みな疲れていたのだ。
疲れていたから気づかなかったけれど、ベッドが鯨の形をしていた。尾鰭がついており青い丸味のあるフォルムで寝るところは平らになっておりボリュームのある白い布団が引かれてあった。
知らぬ間に鯨の上で眠っていた訳だ。記憶が途切れたように眠りまったく夢を見なかった。寝る前と起きた後でまるで自分じゃない感覚がし、来世の人生を歩んでいるような気がした。私たち四人ともが知らない他人のように誰だっけという感じになった気がしたが、そんなことはなく、よく寝たなあなどといいあい、お腹すいたねとかいっていた。時刻は二十一時であり、チェックインのときに夕食を頼んでいたので、ホテルの食堂へと向かった。
鯨料理が出てきて、お父さんが「懐かしい、子供の頃よく食べた」といった。私は鯨を食べるのか、とかわいそうな気持ちになってしまった。しかし食べない訳にはいかなかった。なるほど、確かにベーコンのようだが、また違って鯨独特の味がし、これが鯨肉かと思った。特段旨いとも思わなかった。これが鯨かと思った。わざわざ食べる程のものでもないと思った。
「無性に食べたくなるときがあるんだよなあ」とお父さんがいった。
「そうかしらねえ」
「私はよく分かんない」
鯨料理にそこまで感動することもなく、こんなもんかあという感じで、味気なく食事が終わってしまった。調理場から少し独特の匂いがした。私はなにも気にならなかったが、お母さんがこの匂いなんか苦手とつぶやいた。
なんとなくふわふわした気持ちで、部屋へ戻り、また鯨のベッドに寝っ転がった。鯨が大きな包容力で包んでくれるような気がして、また少し眠った。
「だめだめお風呂入らなきゃ」お母さんがいった。大浴場があったが、女性陣は厭がり部屋のお風呂に入った。男性陣は気にしなかったので大浴場へいった。大浴場は一階にあり、エレベーターで降りるのだが、作りが斜めになっておりごとごといいながらエレベーターは下がっていった。大浴場へゆくと鯨風呂というのがあり、鯨の形をした大海のように広い風呂だった。龍涎香の薫りが漂った。リラックス効果が半端なく、私は風呂に浸かりながら眠りそうになってしまった。
気持ちよかったですねえといいあいながら部屋へ戻り、鯨風呂というのがあってねと興奮した様子で妻へ話し、疲れ果てて鯨のベッドで眠ってしまった。
次の日念願の鯨博物館へいった。鯨町であった。鯨、鯨、鯨で溢れていた。
まずは道の駅に寄ったのだが、鯨グッズが豊富にあり、止めどもなく買ってしまった。もうここにはくることはないだろうという気がして、買いそびれて後悔しないように欲しいものは買った。
鯨のポストがあるということを事前に調べていて、辺りを見渡すと鯨のポストがあったので、自分たち宛に書いていた手紙を投函した。後日手紙が家に届いたのだが、鯨の印はなにもなくただのふつうの手紙だったのだが。
大きな鯨の親子のオブジェが出迎えてくれた。鯨博物館は存在し、様々な鯨の展示があった。鯨のペニスが聳え立っていたが、やはりでかかった。鯨ブックカフェというスペースがあり、ありとあらゆる鯨の本が置いてあり『白鯨』もあった。鯨珈琲を呑んだ。鯨珈琲の豆を買った。
鯨博物館の敷地に生け簀のような小海があり、夥しい程の鯨が泳いでいる。私たちは小海の鯨を見ていると、鯨はどんどんどんどん増殖してゆき、陸地にも上がってきて、所狭しと溢れ出てきた。私たちは大量の鯨に押し潰されそうになりながら、鯨だ、鯨だ、と喚きながら鯨の間をすり抜け、なんとか脱出した。
鯨博物館に併設してある民芸品店でも沢山の鯨グッズを買ってしまった。旅行というものはついお土産を買い過ぎてしまいお金を使ってしまう。お土産を買うというのも旅行の醍醐味でもある。その土地のものを買うということ。旅行が終わり家に帰ってお土産を見てまた思い出す。
よい旅だったなあ、あの旅行は幻ではなかったんだ、と鯨の置物を撫ぜ思い出すのである。
魂の機巧と背の炎 (漆黒の幻想小説コンテスト)
崩れかけたオアシスのほとりには、忘れ去られたように砂に埋もれた古代の遺跡があった。その砂に半分埋もれた一室に、教団から追放された異端の学者、ハキムは、世間から身を隠すようにして隠遁生活を送っていた。かつては「沈黙の聖徒」の中でも高位にあり、神聖な知識を人々に説く立場にあった男。しかし、教団の欺瞞、その聖なる仮面の下に隠された醜悪な真実に気づき、それを白日の下に晒そうとしたがために、この荒涼とした砂漠へと追いやられたのだ。彼の粗末な住処には、禁断とされた書物や、異形でありながらもどこか神秘的な力を感じさせる古代の遺物が、まるで小さな山のように積み上げられ、薄暗い空間には、永い時を経て堆積した古代の知識の重苦しい空気が淀んでいる。ハキムの左目は、異端の知識を得た代償として、濁った水晶のような、生きた鉱物のような異質な光を放ち、時折、常人には理解しえない、未来の断片を映し出すと言われていた。
ある乾いた夜、ハキムの粗末な住居に砂塵にまみれた小さな影が、よろめきながら現れた。それは、痩せ細った、幼い少女だった。ザラと呼ばれたその小さな体には、無数の痛々しい傷跡が刻まれ、背中には奇妙な、まるで生きている炎のような、赤黒く脈打つ紋様が浮かび上がっていた。それが古代の忘れ去られた魔術の危険な残滓であることを、静かに物語っていた。助けを求めるザラは、自分が何者なのか、なぜ自分の背中にこのような奇妙な紋様があるのか、その一切を覚えていなかった。ただ、小さな震える手で固く握りしめた、古びた、黒ずんだ金属製の小さな箱だけが、彼女の失われた過去と繋がる、唯一の、そして頼りない希望のように思われた。その箱からは、微かに、しかし確かに、まるで生き物の心臓の鼓動のような、規則的な音が聞こえていた。それは、ザラの小さな心臓の音なのか、それとも箱の中に秘められた、決して目覚めさせてはならない何か未知なるものの脈動なのか、ハキムにはまだ分からなかった。しかし、その小さく、しかし確かに存在する存在が、この砂塵舞う終末の世界に、新たな、そして予期せぬ物語の始まりを告げていることを、彼は本能的に悟っていた。それは、長らく絶望に染まっていたこの世界に、まるで砂漠に咲く一輪の花のように、微かな、しかし確かな希望の光が、静かに灯った瞬間だったのかもしれない。
習作無題
半透明の罪
肉親を指でなぞるときの
若干の湿り
あわい あまい
声と
美しくあろうとする
芽生えは
さかなのように
降る
それでは
またどこかで
会います
会います
繰り返し
翼の折れたような錯覚
疼痛
ゆがんでいく
床を斜めに
すべって
全てを統べるべく
スペルを間違える
七色にひかり
七箇所で曲がる
窮乏を訴える
凶暴さで
うつつには
興味が失せている
けれど
ではあるが
よって られる
かずかずの
翅と毒蛾の
鱗粉で汚れた手
右をむくと
左をむく
あべこべな
はこべの花を摘む
罪を積む
睦み合う不覚にも
よるは訪れ
最後のような顔で
最後である一本のほね
あでやかなほろび
まろび
庭で咲いたバラに
使われない言葉を
おしえつづけて
百物語(黒有栖)
気の合う3人、ABCが集まった
狭い部屋で酒を飲む
くだらぬ話に花が咲く
いったい、誰が言い出したのやら
怪談でも披露しようとなって
突然誰かが、百物語をやってみようと言った
ロウソクを百本も灯せないから
1つのランタンを話す奴の目の前において、持ち回りで話をしようと決まった
部屋を暗くしたら、いよいよ雰囲気が出てくる
さあ百物語の始まりだ
Cの奴、どこかで聞いたことある話だな
「~だったとさ、はいおしまい」
さっさと話し終わってランタンを隣に渡す
全然怖くないなと笑い合う
先は長いな、残り96話
俺はとっておきのやつを披露した
「~といわけ、どうだ怖かっただろ?」
ふたりともポカーンとしてる
なんだよ、この話の怖さが分からないのかよ
だんだん盛り上がってきた、残り62話
Bが話し終わったあと、ヒッと声をあげた
「今、何か後ろで動いた」
やめろよ……話以外で怖がらせるのは反則だぞ
ネタが無くなってきて似た話が続く、残り14話
残り11話
部屋の角で物音がした
残り9話
ブツブツと呟き声がする
残り3話
ヒヤッとした感触が頬にあたった
残り2話
話しているBの顔の後ろに誰か立っている
残り、1話
Cの話は部屋に響く笑い声で聞こえない
けれど奴は最後の話をしゃべり続ける
と、口の動きが止まった
周りの笑い声も鳴り止んだ
「おしまい」Cの声が告げる
百物語は普通99話で終わるのだ
百話を話すと悪いことが起きるから
しかし
いるはずのない「4人目」の声がする
「じゃあこれが最後のお話100話目だよ、『牛の首』ちゃんと聞いてね?」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アナウンサーの話
「次のニュースです。〇〇市内のアパートで起きた火事ですが焼け跡から、3名の遺体がみつかりました。火事の原因は部屋にあったランタンから出火した模様です。」
野次馬の話
「凄い炎が部屋から上がっていました、でも燃えていたのはその部屋だけなんです。変ですよね。」
「あと、怖かったのが燃えてる部屋の中から大きな笑い声が聞こえたんですよ。被害者は何人いたんでしたっけ?3人?いや、もっと笑ってる声多かったかなぁ。聞き間違いだと思うんだけど、ゾッとしましたよ。」
ツチノコ飼ってみた
ペットショップを横切ると
「ツチノコ大特価中」との暖簾がかけられていた。
ツチノコ……実在するのか? と思い、おもむろにペットショップへ入ると、入り口に入ってすぐのショーケースの中にヤツはいた。
「いらっしゃいませー」
「あ、あのすみません。このツチノコって本物なんですか?」
「えぇ! もちろん! よろしければ触ってみますか」
「え、触って平気なんですか」
――買ってしまった。つい店員さんにそそのかされてしまった。
帰宅をして箱から出してやると、ツチノコはキョロキョロと辺りを見渡している。
「これからはここがお前の家だぞ」
ツチノコに声をかけると、ツチノコはきょとんとした表情でこちらを見てくる。人語は理解できるのだろうか。できるのならば芸のひとつでも仕込んでやりたい。
ツチノコは飲食を行うが必須ではなく、また排泄もしないらしい。どのような体の構造をしているのか分からないが、飼いやすくて良い。また、たまに「ピィ」と鳴くが、犬や猫ほど鳴き声が大きいわけでもないのでその点でも飼いやすい。「ツチノコ飼育ブーム」でも起きてもよさそうだが、やはり希少な生物なのだろうか。
ペットショップの店員曰く、たまに散歩へ連れて行ってやるといいらしいから、早速散歩へ連れて行くことにした。
「おいでじゃじゃまるー」
じゃじゃまるはツチノコの名前である。
名前を呼ぶとじゃじゃまるは、ピィと鳴きながらジャンプして飛びついてきた。首輪をつけると若干抵抗して嫌そうではあったが、次第におとなしくなり首輪を着けさせてくれた。
人生初、ツチノコの散歩である。自宅を出てしばらく歩いたが、周囲の人が不思議そうな顔をしてこちらを見てきているのがわかる。ツチノコの散歩をしているのだから無理も無いか。
散歩を始めてしばらく経ってからだった。それまでおとなしく散歩をしていたじゃじゃまるが、突然私を引っ張り始めた。
「ど、どうしたんだじゃじゃまる」
じゃじゃまるはピィ、ピィと鳴きながら私を引っ張る。なにやらどこかへ案内しているようだった。
私はじゃじゃまるの思いのままついて行くことにした。
しばらく引っ張られていると、草が生い茂っている空き地に着いた。
「空き地で遊びたかったのか?」
と私が問いかけると、じゃじゃまるはピィ、ピィとこれまでにないほど鳴き始めた。
何事かと思っていると草むらからガサゴソ、ガサゴソと音がし、大量のツチノコが草むらから飛び出してきた。
「うわぁ!」
私は驚き、思わずしりもちをついた。そんな私をじゃじゃまるはジーっと見ている。
「もしかして、お前、ここで捕まったのか?」
そう言うと、じゃじゃまるはピィと返事をした。
そうか。家族と離れ離れになっていたのか。
「よし、じゃあ帰してやるか。今首輪を外すからな」
私が首輪を外してやると、じゃじゃまるはツチノコの群れへダイブする。じゃじゃまるもツチノコの群れもピィピィ鳴いてまるで感動の再会だ。
ツチノコの群れはじゃじゃまるを連れて去っていく。
「もう捕まるなよー」
私はそう言って帰ることにした。
帰り道、電柱に「ツチノコ発見につき一億円」と書かれたポスターが貼られていた。この手のポスターを今まで見たことがないでもなかった。
「どうせなら一億円貰っておくんだったな」
そんなことを考えながら、私は帰路についた。
小さな星の軌跡 第三話 三人の遷ろい
小さな星の軌跡 ショートストーリー
「あの、すみません....ちーさん」
夏休みも開けての9月、放課後の帰り支度をしている所クラスメイトの小郡さんから声かけられた。ホームルームが終わって、みっちゃんと天文部も今日は休みだし帰ろうとしていたところだ。特別仲がいいわけでも無い娘だけどなんかちょっとあらたまってる。なんだろう?
「ん、なんでしょう?」
「あのね....あの....」
ちらちらみっちゃんを見てる、わたしだけに話ししたいのかな?
「みっちゃん、ごめん、わたしちょっと残るから先行っててもらって良いかな?」
みっちゃんもなんか察したようだ
「んじゃ先帰ってるね〜また明日〜」
さすがわが親友
「小郡さん、教室でもいいのかな?それとも場所変えたほうがいい?」
ちょっと見回すと今日はみんなさっさとクラスをあとにしてもうわたしたち二人になっている。
小郡さんも視線を回したあと
「あ、じゃ、ここで良いかな?」
「うん、なんでしょ?」
「あのね、ちーさんってお付き合いしてる人がいるって聞いたんだけど....」
んんん~、最近は別に隠してもいないし、平日の部活後なんか校門まで先輩と一緒に歩いているからまあ学校内で認知されてるほうとは思うけど、改まってその事を聞かれるとちょっと身構える。
「うん、それでわたしの事かな?それとも耳納先輩の事?」
「あのね、私好きな人がいて....」
おっと、そう来たか。
「私どうしたらいいのかなって思って....」
いやいやいや、わたしがどうこう言う立場じゃ無いと思うんだけど。
「篠山さんって私のことどう思ってるかなって」
うん?みっちゃん???
これはえ~と彼女の想い人がわたしの幼馴染で親友のみっちゃんか。いきなりちょっと進んだ話になってきたぞ。
「とりあえずは普通にクラスメイトって感じだと思うけど....」
無難に返しとく。
「篠山さんって誰かお付き合いしている人っているのかな?」
いや知らないし、みっちゃんならわたしには話してくれるだろうけど今まで聞いたこと無いし、聞いていても勝手に話す訳にもいかないし....答えられないなあ、これは....
「ごめんね、わたしはみっちゃんからは聞いてないし、聞いていないだけで誰かとお付き合いしてるかもとか好きな人がいるかもとかそういう事もわからないし、知ってても勝手に言ったら駄目な事と思うんだけど....」
とりあえず正論で返す。
「あ....うん」
あ、ちょっと黙っちゃた。小郡さんって同性が好きなのか、たまたまみっちゃんを好きになったのか....特別視するもんじゃないって色々言われているけど、じゃあどうしよう。
「小郡さんは昔から同性が好きなの?」
みっちゃんはおそらくは男性は好きだろう。耳納先輩の写真部の方の友達見て、あの先輩かっこいいねとか言ってたし。でもそれは女性を好きにならないって根拠でも無いなあ。
「このクラスで、初めて、あの人素敵だなって思ったのが篠山さんで、ちーさんいつも仲良くしてるから話を聞いてくれるかなって」
多様性って色々言われるけど配慮も排除も両方なんか違う気がする。クラスメイトの一個人の相談の対象が同じクラスメイトでわが親友だと、そう、物事はシンプルに。
そう思い直す。
まずはクラスメイトがわたしに悩みを打ち明けたのは事実なのよね。それには誠実に対象すべきだよね。わたしが最終的にとるべき行動か....どうすりゃ良いんだろ。
「みっちゃんとは小学校からの付き合いでまあ大抵の事はお互いに話してる仲だけど」
「それでもお互いにプライベートはあるし内面の深いところまではわたしだってわからないよ」
「そんなわたしでも聞いてほしい事があるなら聞くことはできるけど小郡さんの望む事が出来るかは約束できない、それでも良いかな?」
ちょっと慎重過ぎた受け答えだったかな。
「ありがとう、ちーさんに聞いてよかった」「別に男性が駄目とか怖いとかは無いと思ってるんだ」「ただ良く一緒にいる篠山さんとちーさんを見ててね、唯の親友以上に仲良さそうな雰囲気で」
なにからぶらぶ光線でも出してたのだろうか?.....あーハグしたりもんだりしてたか。みっちゃんの胸を。だってちゃんと膨らんでるもん。
「まあ長い付き合いだし、家も割と近いからたまにわたしんちで週末泊まったり、そんな仲だよ。こないだから天文部にも入部したしね。」
「おふたりって親友以上なんですね」
親友のラインってのも線引きできるものかよくわからないけど、まあ自分の事と同じくらいにみっちゃんの事は考えてると思うからそうなのかもしれない。
じゃあ先輩にはどんな感情、何が恋人同士は違うんだろう...。
「まあわたしとみっちゃんのあいだでは少しは内面というか自己開示っていうかそう言う事信頼関係はあるのかもね」
答えながら自問自答。
わたしと先輩は世間的に恋人関係な付き合いなわけだけど、みっちゃんとは何が違うんだ?自己開示ってのはあるけどそれはみっちゃんに対してもある。じゃあみっちゃんは恋人かって言うとそれは違う。わたしなりにはやはり性的な繋がりがある、またはありたいという願望からくる安心感とか充足感とか信頼関係なのが恋人同士なのかなと、自身の経験からは思うのだけど、それは今伝える事じゃ無いよね。
もうちょっと聞いてみよう。
「みっちゃんの何処が好きなの?」
言葉にしながらちょっとしまったと思う。
同じ質問を先輩にして随分悩ませてしまったし、先輩は言葉にしてくれたけど、今のわたしがそれを小郡さんに求められる立場なのかな。
「うん、何処がっていうか、いつもきらきらと」
「何気ないことを楽しそうにしてて....」
「誰かの幸せを喜べる人なんだなって....」
うんうん、それは長年の付き合いなわたしもみっちゃんのいい所だと思ってるし、好きな所だ。でもじゃあ同じ所を見てわたしが思う親愛の情と小郡さんが想う愛情の違いは何処からだろう...
耳納先輩は部室じゃわたしにはそっけないというか、そっけないわけでも無いけど先輩後輩の立場の方を重視する。お付き合いはみんな知ってるけどそれはけじめだろう。むしろみっちゃんやたかちゃんときゃいきゃい話してる。それに対して多少は嫉妬もあるけど。
「小郡さんは、そうやってみっちゃんと一緒に楽しくいられるだけじゃ足りない....のかな?」
嫉妬、嫉妬かあ。独占欲、わたしだけをみてほしい、それのあるなしが愛情なのだろうか。
小郡さんが小さく頷いたように見えた。
みっちゃんとわたしは長い付き合いの親友同士だ。わたしが先輩と結ばれた事もシンプルに、最大の気持ちで祝福の態度を示した。
先輩への愛情とみっちゃんへの友情は同時に成り立つ。
みっちゃんが誰か異性とお付き合い始めてもたぶん変わらないだろう。
ここでふと引っかかった。小郡さんの愛情にみっちゃんが応えた時にわたしは友人でいられるのだろうか...
考えがまとまらない。自分の中で何処か同性愛と異性愛に違う何かを持っているかもしれない事に気づいた。まあ結婚とか子供とかそこまで進むと確かに違いはあるだろうと飲み込む。
みっちゃんとわたしは家が近い事もあって昔からお互いの家に泊まったり来てきた。2人だけの女子会っていうやつだ。今週末も約束してたんだけど、小郡さんも呼んでみようか....
何が起きるかは想像できないけど。
翌朝通学のバスを待ってるとみっちゃんがやってきた
「みっちゃんおっはよー、今日も暑いねえ💦」
「ちーちゃんおは〜、昨日はなんだったの〜?」
んぐ、まさか今聞かれるとは思っていなかった。とりあえずは肝心な所を伏せて話そう。
「うん、小郡さんって割といつもひとりでしょ。」
「で、いつも2人なわたしらを見てて」
「自分もご一緒したらご迷惑ですか?って」
「なんだそんなの、いいに決まってんじゃん、なんならさっそく明日呼んだら?私は3人でも良いよ、ちーちゃんちの親御さんには言わなきゃだね」
うん、まさか自分が渦中だとはまったく思っていない。みっちゃんらしい。
「じゃあわたしの方から伝えるね、明日金曜日の放課後そのまま買い物とかしてからうちに来るでいいかな。だとすると小郡さんには着替えとかちょっと荷物になっちゃうね」
「まあ私みたいにちーちゃんちにも着替え置いとくとかw」
そう、わたしの部屋のタンスとクローゼットは一部占領されているのだ。なんでみっちゃんのパジャマや下着まで入ってんのよ。
そうこうしているうちにバスは学校前についた。今日は放課後天文部だから昼のうちに小郡さんに言っとかなくちゃ....そう思いながら校門をいつも通りくぐる。
おっはよー、おーっす、あっちいねえー
いつもの朝の教室風景だ。
小郡さんはと見回すと、自分の席で静かに本を読んでいる。かくいうわたしもそう人付き合いがいいわけでも無いと思う。興味が無いことまで合わせるために調べたりはしないし、他人の色恋なんて、幸せな話ならまだしも、二股だのそういうのは聞きたくも無い。けど小郡さんはまた別の感じで1人でいるように見える。彼女の想いがどうにしろうちに泊まりに来ないってお誘いを他のクラスメイトには聞かれたく無かったのもあってとうとう放課後になってしまった。
「みっちゃん、ちょっと遅れていくから天気図描くのお願いね~」
「先輩に言っとくね、遅れたぶんは何かで返すって言ってましたって〜」
ちょちょ、クラスメイトもいるんだけど、いやまあみんな知ってるけど〜
とにかく教室をでてった小郡さんを追いかけないと、スマホで伝えても良いのだけどできれば顔を見て話したい。
廊下にでたら小郡さんは図書室のほうに向かっている、そう言えば朝読んでいた本もラベルが貼ってあったな。
図書室の前で追いついた。ちっちゃいわたしが走らずに追いつくのは大変なんだよう。
かくかくしかじか、みっちゃんとはこんな付き合いなんだけど、明日の晩は3人一緒におしゃべりしませんか?って。正解なのか自信はなかったけど。
その日の夜、お風呂から出て髪を乾かしているとスマホがぷるんと震えた。
明日、お邪魔します。ありがとうございます。おやすみなさい。
緊張してるような、優しいような、ただの文字なのにそんな声が聞こえた気がした。
何事もなく金曜日の朝、いつものバス停でみっちゃんと一緒にバスに乗る。そこで今晩は小郡さんも来るからねっと伝えた。
「へえー、孤独を愛する人かと思ってたら以外とアクティブだね。女子会とかしてみたかったのかな?」
いやみっちゃんがいるからとは言えるわけもなく、宮沢賢治繋がりかなあっと応えた。
これは本当で、この前8月の天文部観測会で先輩たちや同じ1年女子のたかちゃんが宮沢賢治の星めぐりの歌で連詩のように言葉を連ねていき、わたしは見てるだけだったのでちょっと悔しくて新学期早々図書室に行ってみた。ら、そこで小郡さんと出くわして、わたしが手にしてる本を見て、そこからその時の事とか少しおしゃべりした。
その話が彼女に何か響いたのだろうか。みっちゃんは気さくで、優しくて、時にはきちんと間違いを教えてくれて、わたし自慢の親友だ。と。
でもそれだけじゃちょっと弱いなあ。
みっちゃんの何が彼女のトリガーだったんだろう?
授業中は特に何事もなく放課後になる。
部活の天気図だけ描いていくから30分待っててねと小郡さんにお願いする。気象通報が16:00から20分間、観測地点の気圧、気温、天候、風向、風力を次々と読み上げそれを専用の用紙に書き込んでいく。4月は家に持ち帰って仕上げてたけど今じゃ16:30には仕上がる。7月途中の入部のみっちゃんも理科は得意なせいかあっという間に追いついた。
「お先に失礼しまーす」x2
ああ耳納先輩、今日はちゅ~できずにごめんね。友情が優先の日もあるのよ。
下駄箱で小郡さんと落ち合う。通学用のかばんともう一つ体育着用のスポーツバッグだけど今日は体育無いので着替えだろう。
じゃあ行こうか。学校から駅に出てわたしの家の路線に乗り換えだ。駅前のファーストフードで軽く食べてから夜に食べるお菓子やジュースを買い込んでバスに乗る。みっちゃんはしれっとご飯までわたしんちで食べてくこともあるけど、小郡さんが気を使うだろうと思って今日はこうした。
カラカラカラ
ただいま〜
おじゃましまーす
ごめんください
色んな声が聴こえた。
お母さんがでてくる。
「ご飯は要らないのよね、お風呂はお母さんが先に済ませたからあとはご自由にどうぞ。ごめんなさいね、初めてのお客さんより先で」
小郡さんが恐縮している。と見ればお母さんになんか包を渡してる。
「お邪魔します。これ、今晩お世話になりますので...」
おぅ、大人だ。おとなになったつもりでもまだまだわたしは未熟者だ。
ちょっと差を見せられたてしまった。
良いのよ、学習して積み上げれば。
ささ、どうぞー
わたしの部屋にご案内だ。
ベッドの上に来客用のおふとんがかさねてある。2人分だ。夏だしかけるものはタオルケットくらいで十分。
さーて、昼間は普通に授業してきたわけで汗もかいてる。さっぱりお風呂に入りたいところだがお客さんを優先すべきだろう。
「小郡さん先にお風呂入って来たら?」
わたしから勧めてみた。
「皆さんご一緒じゃ駄目ですか?」
ん、彼女の気持ちを知ってるわたしとしてはちょっと返答しにくい。単なる女子会ならきゃいきゃいわあわあだけなのだけど、
(好きな人)
と言う言葉が今日は重く感じる。
と同時にこの重さを先輩に背負わせてたりしてたのかなとちょっとよぎる。
「わたしは良いよー、ちーちゃんちのお風呂ってちょっと大きいし、まあ夏だから肩までどっぷりじゃなくてもね〜」
わたしの心配もよそにみっちゃんめ。
と言ってもまあ色んな思惑を知らないでいるのだから仕方がない
さあてわたしがルームウェアと替えの下着をだしてると、あら素敵なインナーですねって小郡さん。女子会だし一応星と月のプリントなわたしのメインウエポンだ。うふふ。この前手に入れた強めの魔法アイテムは奥にしまってある。
ちーちゃん、わたしもこっち開けるよーっとみっちゃんが置き着替えを取り出している。まあそこはみっちゃん専用だ。ただし部屋の所有者として管理権を発動する事はある。
最近サイズがアップしているな。むぅ。
準備できたのでお風呂場にごーだ。
学校の授業で着替えたりはするけど、みっちゃん以外はちょっと緊張するな。
「わたし先に洗っちゃうから2人ゆっくり浸かっててね。窓開けちゃっけも大丈夫だよ、竹藪だし」
小郡さんがちょっとづつ外を見ながら開けてる、初めてだし無理もない。
「わぁ〜素敵ですね!」
露天風呂とまではいかないけどなかなかの開放感だし、安心したのかちょっと乗り出して外を見てる。
みっちゃんの裸は昔から見慣れてるけどちょっとドキドキするなあ。みっちゃんは今どう思っているんだろう...
洗い終わったので交代だ。
「一緒に洗っこしませんか?」
小郡さんがみっちゃんに申し出てる。
攻めてる。何も言わずに任せてたほうが良いのだろうか。知っているだけに少々悩むけど、変に止めるのも違和感だし、中学校の修学旅行でも女子の間できゃいきゃいやってたからまあそんなもんでやり過ごそう。
が、わたしんちのお風呂場でうら若き女子2人が洗いっこしてると言うのはなかなかに刺激が強い。いやなんだろう、美しいとか、尊いとか、うらやましいとか、ちょっと言葉がでないけど、美術の教科書にあったニンフの沐浴とか、ぐるぐるイメージが湧いてくる。みっちゃんがどう思ってるかはさておき小郡さんはきっと充足感に満ちてるんだろうなと、先輩がわたしの写真を撮る時こんな気持ちになるんだろうか?
ひとしきり洗い終わって、3人で湯船に腰掛けてしゃべっていたけど先にみっちゃんが
「喉乾いてきたから先でるねー」
とでていった。
2人残されのでちょっと聞いてみるかな?
「ね、小郡さんは」
「はい、なんでしょう?」
もう一回ストレートに聞いてみる
「どうしてみっちゃん好きになったの?」
「…あの、ちーさんともこうして親しくなれたので、謝罪も込めてお話します。」
謝罪ってなんだ?特に怒ったり困ったりして無いよ。
「7月終わりごろでしたか、街でおふたりが買い物をしたあとにお茶しているのを見かけまして...見かけたと言うか、わたしの後ろにおふたりが」
うにゃ、みっちゃんに奢らされたあの時か。みっちゃんの後ろの席に人はいたけど、小郡さんに聞かれちゃってた?!?!?!
「あ、ちーさんの事は誰にも」
これはほんとだろう。ちょっとほっとする。
「その時の、篠山さんの、静かな祝福が」
「素敵だなって」
「おふたりの会話を聞いてしまってごめんない」
「いやまあ、まさかクラスメイトとは思ってなかったけど、人がある場所で喋ってたのはわたしたちだし、誰にも黙っててくれてありがとう」
あの時のみっちゃんの祝福でないてしまったのはわたしだ。たまたま居合わせたとは言えみっちゃんのさらりとした暖かさに心を寄せるのもおおむねわかる。
「わたしは、みっちゃんとは長いけど」
「でも、お互いにきちんと個を持って」
「それでいて信頼を積んできたって」
「そう思ってるんだ」
「だからね」
「小郡さんが、今日、胸のうちを話すのも止めないし」
「みっちゃんの答えがなんであろうと、わたしとみっちゃんが親友同士なのは変わらないと思う」
「でいいかな?」
小郡さんは静かに頷いた。
わたしは後は見守るだけ。かな。
みんなお風呂から上がり、ルームウェアでリラックスモードだ。ジュースにお菓子と駅前でちょっとだけいいケーキもいくつか買ってきた。やっぱり甘いものよねえ。
山間で木々に覆われたわたしの家は夏でも夜になると結構過ごしやすい。エアコンを切って窓を開けると少し虫の声が聴こえてきた。
学校のこと、部活のことなんかを喋っているうちに、流れがわたしと耳納先輩のお付き合いの事になってきてしまった。
「ちーちゃん1人で天文部入ってくるからわたしびっくりしたんだよ、そんなに理科好きだったっけってね?」
「いやまあ、ちょっと変われるチャンスかなってね....」
「確かに変わったねえ、なんだか自信に満ちてまぶしいよ、んで先輩とはどーなのよ」
「どうもこうもだいたい知ってるでしょ、天文部まで途中入部して来たくせにぃ」
小郡さんも笑って話に加わっている。普段の教室じゃ見ない顔だなあ。
「篠山さんは、変わろうとは」
ぼかした言い方だけど、小郡さんが何か問いかけて来た。
「えーわたし??? どうなんだろうねえ〜、ちーちゃんといるのは楽しいし、天文部の先輩たちも面白いし、でも男子部員は3年生除くと耳納先輩だけだからなあ、わたしら1年はたかちゃんも含めて女子だけだし」
みっちゃんの言い方だとあくまでお付き合いの対象は男性が前提のように取れる。まあ仕方がないよな、今のを小郡さんはどう聞いているんだろう。
見守るだけって思ったけど、少し話を振ってみる。
「2年の女子先輩の2人も仲いいよね、柳川先輩と大川先輩、宿泊観測会の時くらいしか天文部には顔出さないけど、普段は生物部で何してんだろ」
「わたしはこないだ8月の観測会が初めてだったけど、自由観測時間はさらっと見えなくなって3時過ぎにはさらっと戻ってきてたよね」
うーん、なんだか耽美な感じだ。小郡さんの前で話してもよかったかな。
コンコン
あ、お母さん
かちゃり
「じゃあ、お母さんはもう寝るけど、せっちゃん後は戸締まりとか火の元お願いね。小郡さんもごゆっくり。」
ちょっと話が途切れたのが良かったのか、悪かったのか、どうなんだろう。
と思ったら、みっちゃんが話を継いでくる
「大川先輩と柳川先輩、もっぱら恋人同士って聞いたけど、そうなの?観測会でも仲良かったよね」
「先輩に直接聞いた訳じゃないからわたしもわかんないよ?」
「ただまあ、すごく自然にスキンシップをとるよね」
そう答えておきながら、傍から見れば同性カップルにも見えるけど、それは本人の内面が決める事で外からの見た目で第三者が決めることじゃない気がする。
「じゃあちーちゃん自身の事で、先輩後輩と今の関係と、何か違いはあったの?」
違いは山程ある。のだけど適切な言葉にするのが難しい。言葉にしないと伝わらないけど言葉だけでも伝わらない。それは古今東西如何程の詩や歌が書かれてきたことか、が物語っている。
「........近づく事、触れる事、重なる事、開く事、受け入れる事、記憶と記録、自我と他我、交わりと融合、個を保った変化、わたしはわたしのままに新しいわたし........」
自分でもよくわからない呟きとも詩とも言えるような、変な感覚をそのまま口にした。
「ちーちゃんは」
「先輩の何か、深いところで繋がったんだね」
はっと我に返る、今わたしは何をしゃべったんだろう。自分の中から何かが語りかけたような....
小郡さんがじっとわたしを見つめてる。
彼女には今の呟きがどう受け止められたのか、背中がひんやりする。
「筑水さん、篠山さん」
小郡さんが静かに口を動かす
「今日はお誘いありがとう」
「わたしの一方的な気持ちを、こんなに丁寧に受け入れて、考えてもらって」
「やっぱり自分の言葉で、気持ちをと」
「篠山さん、わたしとお付き合い出来ませんか?」
みっちゃんがぽかんとしている。
ちょっと想定外で頭が回っていない感じだ。
しばらくの沈黙
「えっと....」
「私とちーちゃんが親友のままで良いのなら....」「ただちょっと、私のなかでも、色々」
「想定外で、どうお付き合いして良いのか」
「かっこいい彼氏欲しいな〜とか」
「今までそんなことしか考えていなくて」
「........手探りでゆっくりでも良いかな?」
小郡さんのワンピースに大粒の泪がぱたぱたと落ちた。
日付も変わって外も凌ぎやすい。
3人でちょっとだけ外を散歩する。
わたしが先輩とお付き合いした事を、みっちゃんは静かに祝福してくれた。
ならば今は、わたしが祝福すべきなのだろう。
わたしと先輩
みっちゃんとおーちゃん
いつまでも一緒にいられるかはわからない。
ただ、いつか
離れるときが来ても
今、わたしのなかに残った何かが
新しいわたしの一部に
残り続けて欲しいと
見上げたペガサスに
願いをこめて
おしまい
幾つもの春
春の窓を開けようと
手を伸ばしてみるけれど
春風は
時を連れてやってくるのか
時を連れて去っていくのか
そんなことにも戸惑うほどに
つま先が歩き方を忘れている
いつかのあなたの言葉を
探してみるけれど
思い出に
なり切っていない切なさは
まだそっと痛いだけ
あなたのいない私に
私が慣れるには
春を幾つ過ごすのでしょう。
詩のなかの「おじさん」
私が詩を書いていると、詩の中によく「おじさん」が登場します。素敵な女性でもいいのに、ミステリアスな男の子でもいいのに、皺だらけの老人でもいいのに「おじさん」がひょっこり現れてしまうのです。
「おじさん」はそこにいるだけで不思議であり、不穏であり、物語を展開させる便利な存在なのです。
そして周りから見れば、私も既にそんな「おじさん」の一人なのです。
SDGsとしてのクリエイティブ・ライティング
日々の暮らしは、知らず知らずのうちに、多くの副産物を生み出します。それは、役目を終えた食材の断片、製品を包んでいた薄い衣、情報を伝える役目を終えた紙片、そして、かつて私たちの生活を彩った、今は静かに佇む家電たち。まるで、現代に潜む怪異、田伏正雄の終わりなき増殖のように、その数は増え続けているのかもしれません。私たちは、便利という名の甘い誘いに惹かれ、ごみ問題という名の古代の呪いを解き明かそうとするうちに、いつの間にかその呪いに蝕まれ、「ミイラ取りがミイラになる」ように、自らもまたごみに縛られた存在になりつつあるのかもしれません。
その存在は、単に目に見える場所を占拠するだけでなく、地球という、私たちを優しく包み込む存在の、静かな負担となっているのかもしれません。気温の微かな上昇、予測できない雨の降り方、そして、失われていく多様な生命の息吹。もしかしたら、これらの背後には、実体を持たないにも関わらず、確実に世界を蝕む、田伏正雄の影が潜んでおり、私たち自身も、その影響下で無意識にごみを増やし続けているのかもしれません。
しかし、この静かな問題に対して、私たち一人ひとりが持つ力は、決して小さなものではありません。心持ちを少しだけ変えること、日々の習慣にそっと変化を加えることで、実体のない怪異に対抗する、かすかな光を灯し、自らがミイラ化する運命から逃れることができるのです。それは、まるで、そよ風が淀んだ空気を払うように、穏やかでありながらも、確実に、見えない何かを弱体化させ、硬直した状態から解放してくれるでしょう。
まず、心に留めておきたいのは、「生まれる前の静けさ(リデュース)」です。まだ必要としていないものを、あたかも憑りつかれたように追い求める衝動を、そっと鎮める。使い捨てという名の、刹那的な魅力を持つものを、その虚ろな本質を見抜き、遠ざける。そして、長く寄り添えるもの、繰り返し使えるものを選ぶ。それは、田伏正雄の増殖を抑え込む、最も根源的な対抗手段であり、私たち自身がごみという名の呪縛に囚われるのを防ぐ第一歩となるでしょう。
次に、大切にしたいのは、「再びの息吹(リユース)」です。役目を終えたように見えるものでも、別の場所で、違う形で、再び輝きを放つことがあります。古くなった衣類は、新たな装いに生まれ変わり、使わなくなった道具は、手を加えることで、再び活躍の場を得るかもしれません。それは、田伏正雄が操る、使い捨てという呪いを打ち破り、物に宿る記憶を蘇らせる、静かなる抵抗であり、私たち自身が物への愛着を取り戻し、使い捨てることへの抵抗力を高める道となるでしょう。
そして、「還る場所への導き(リサイクル)」も、忘れてはならない大切な道標です。素材ごとに分けられた入れ物は、まるで、怪異を元の世界へと送り返すための、結界のようです。適切に分別された資源たちは、再び形を変え、私たちの元へと戻ってきてくれるでしょう。それは、田伏正雄が生み出した無秩序を秩序へと回帰させる、静かで、しかし、確実な浄化の儀式であり、私たち自身が資源循環の輪に積極的に関わることで、新たなごみを生み出す流れを断ち切る力となるでしょう。
近年、静かに広がりを見せているのは、「受け取らないという選択(リフューズ)」という考え方です。あたかも善意の仮面を被って近づく、まだ必要としていないものを、その背後に潜む悪意を見抜き、毅然と拒否する。過剰な装飾や、いつか使わなくなるかもしれない付属品も、巧妙な誘いであることを見抜き、きっぱりと断る。それは、田伏正雄の侵食を未然に防ぐ、最も強力な防御であり、私たち自身が不要なものに囲まれることから解放され、本当に必要なものを見極める目を養う道となるでしょう。
ごみ削減は、私たちの暮らしを、改めて見つめ直す、静かな時間を与えてくれます。本当に大切なものは何か、豊かさとは何か。そんな問いかけは、もしかしたら、田伏正雄が私たちに囁く幻惑から目を覚ますための、警鐘であり、私たち自身が物質的な豊かさの呪縛から解放され、精神的な豊かさを求める旅へと導く灯火となるかもしれません。少しだけ立ち止まり、考えること。それは、現代の怪異の本質を見抜き、その影響から自由になり、自らがミイラ化する運命を回避するための、静かなる瞑想なのです。
地域という、私たちを繋ぐ場所でも、できることはたくさんあります。地域の催しに、まるで結集するように、そっと足を運んでみる。清掃の輪に、静かに、しかし、連帯の意志を持って加わってみる。そして、家庭や、共に過ごす場所で、ごみを減らすための小さなアイデアを、まるで退魔の呪文のように、そっと共有してみる。それは、一人ひとりの小さな意識の変化が共鳴し、現代の怪異を弱体化させ、私たち自身が地域社会との繋がりを取り戻し、孤立したミイラのような存在から脱却するための、静かなる祈りとなるでしょう。
ごみ問題は、私たち一人ひとりの、静かな選択が、未来を形作っていくと言えるでしょう。「もったいない」という、古くから伝わる、物を大切にする心。それは、現代の怪異に対抗するための、私たちに残された、最も純粋な力であり、私たち自身が本来持っていた、自然との調和を取り戻し、地球という大きな生命体の一部として再び生きるための羅針盤となるはずです。もしかしたら、田伏正雄も、その静かな抵抗の光が広がるのを、どこかで見ているのかもしれません。今日から、できることを一つ、まるで封印を施すように、そっと始めてみませんか。私たちの静かな行動は、きっと、現代の怪異の力を封じ込め、美しい地球を、そして私たち自身を、永遠の眠りから呼び覚ます力となるはずです。
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